選手にとって才能とはなにか??凡人が対抗する術はあるのか?
サッカーに限らず、あらゆる分野でトップになるために必要なもの。
それが、「才能」である。
サッカー界では、センスという言葉で語られることが多い。
しかし、存在は知られている上に、選手のことを
「あいつはセンスがある、ない」
と評価する話はよく聞くが、
具体的にどんな能力を指すのか
センスがない選手はどうすれば身に付けられるのか
という点に関して、語られることはほぼ無いのではないか。
しかし、選手が最も知りたいのはそこなのだ。
自分の上達、成長に直結するセンス。
本稿では、筆者の現役時代の経験を元に、独自の視点からその一端を解き明かしていきたい。
才能という言葉は便利すぎる
選手、指導者どちらも含めてサッカー界の誰しもが「才能」という言葉を口にしたことがあるだろう。
しかしその言葉の具体的な意味、そして持つ力について突き詰めて考えたことはあるだろうか?
選手に見えてしまった限界をこの便利な言葉で片付けてしまってはいないだろうか。
この言葉は具体性のない賛辞にも、指導者の言い訳にも、そして選手の言い訳にも利用できる便利な言葉だ。
だからこそ逃げ道として使ってしまい、結果的に不幸なサッカー人生を歩んでしまう人が産まれている、と筆者は感じている。
筆者自身は全く才能もセンスの欠片も感じられないような選手だった。
いつしか筆者の選手人生は、
「人は才能もセンスもフィジカルも持たない中で、どこまで上へ挑めるか」
という目標の中で戦うようになっていった。
その中で、当然ながら才能という言葉の意味、使われ方、解釈というものをひたすら考え続けた。その結果、自分の中で出た結論をここで書いていきたい。
「才能」にはいくつかの意味がある
一言で才能と表現されてしまうことが多いが、一般的な使われ方にはいくつか傾向がある。
まずはその分類からしていこう。
①上達するスピードが早い
少年団やジュニア世代では、練習量や練習の質にそこまで差が付くとは筆者は思っていない。それは自主的な練習を含めてもだ。
にも関わらず、選手としての実力差は悲しくなるほどに顕著に現れてしまう。
同じような練習を同じ時間取り組んだときに現れる差。
それは上達スピードの差にほぼ等しい。
学習能力が高い選手を指して、才能があると言われるのはイメージがしやすいだろう。
同じ判断ミスを繰り返さない、言語化出来なくても判断の善し悪しが直感で分かる。
世間一般で言われる言葉に置き換えれば
「要領の良い人間」
というものが成長が早いのが、筆者の体験から得た知見だ。
②人には見えないものが見える
決して霊や妖怪といったオカルティックな話ではない。視野の広さや狭いパスコース、小さいスペースなど、一般的な選手では見つけることが出来ないプレーのアイディアや状況把握のことだ。
具体的な言葉で言えば、「瞬間視」「空間認識能力」「動体視力」など、いわゆるスポーツビジョンと呼ばれるもの。
パスを受けた瞬間、顔を上げて周囲の状況を把握する、これはあらゆる選手が習う基礎的な動きだ。
しかし同じように顔を上げても、そこから得られる情報の量は選手によって差がある。
もちろん努力や考え方で改善も出来るが、生まれつき差があるのは間違いない。
また、メッシなどワールドクラスのドリブラーは、スローモーションで見直さないと分からないようなDFの細かい重心移動などを見ることが出来る動体視力を持っていると筆者は考えている。
これも天性によって大きく左右されてしまう。
③運動神経、運動能力、体格
ここでは三要素を挙げているが、
・体格
・運動能力
この二つがほぼ生まれつき差があることは皆さんご存じだと思う。
鈴木武蔵のようなスピードやリーチの長さは真似したくても出来ないし、イブラヒモビッチのような競り合いの強さや身長体格は恵まれた物である。
ことGKに関しては身長という生まれつきの才能を持っていることが選手として大成するための最低条件である。これは残酷ながらも真実だ。
私は中学2年生までGKとしてプレーしていたが、25歳となった現在の身長が166cmであることを考えると、GKを辞めた決断は間違いなく正解だったと思う。
強豪チームのセレクションに応募するときには両親の身長を記載させるチームもあったりと、身体的素質を見抜こうとする動きは今後科学の発展により更に加速していくだろう。
同時に生まれつきの差を埋める手段も発見されるかもしれないが、現在は難しい物である。
問題はもう一つ挙げた、
「運動神経」
という物である。
先に挙げた上達のスピードとも関係してくる話だ。
例えば純粋にボールコントロールが現れる、リフティングやコーンドリブルといったドリルトレーニング。
あるいはシュートやロングパス、トラップなどのスキル。
これらは正確さやタイムを計測することで、純粋に上手さを比べることが出来る。
つまりボールコントロールやキックは、明確に上手い下手が見えてしまうのだ。
当然、上達のスピードも大きく変わるのは目に見えてしまう。
ではこういった技術の上達は何が決め手となるのか。
筆者は、「運動神経」だと考えている。
わかりやすく言えば、身体操作が上手いかどうかだ。
ボールは常に丸いし、同じ動きをする。
ボールを上手く扱うということは、ボールを扱う体を上手く動かせていると言える。
キックが狙い通りに飛ばなかったとき、何を修正するかが体で感じられるか。
そして修正したいところを思い通りに修正できるか。
技術の上達は、身体操作と密接に関連しているのだ。
才能には絶対的な差がある
極論、プロ選手になれるかは才能による部分が大きい。
努力だけでどうにもならない、これが現実なのだ。
こういった才能の話をするとき、よく例に出されるのは、陸上の短距離だ。
「君が今からボルトより速く走れるようになると思うか?」
という問いだ。そしてこれは正しい。
もちろんやってみなければ分からないのもまた真実だ。
ただ、限りなく可能性は低いだろう。
そしてサッカーにおいて難しいのが、
才能といっても色々な才能があること
ここである。
いくら練習を一生懸命やっても判断が良くならない、判断ミスをしてしまう選手も居れば。
人より技術の上達が遅い選手も居れば。
頑張ってルックアップしてもパスコースが見つけられない選手も居る。
選手や指導者は、「努力が足りない」と考えてしまいやすい技術や判断の面でも才能の差は生まれるのだが、それは足の速さなどと違って理解が進んでいない。
更に、
「ではどうすれば判断力が成長しやすくなるか」
「どうしたら技術の上達が早くなるか」
という点について、理解も研究も進んでいない。
だからこそひたすらドリブルドリルをし続けるような野洲や静岡学園のような方式がもてはやされている。
しかし筆者は違う考え方をしている。
上達の効率を上げることが大切
ここからは、体格やフィジカル以外の才能に絞って話をしていく。
才能とはいわばキャパシティだ。
同じ練習をしたときに、どれだけ吸収できるか。
キャパシティがあればあるだけ効率よく成長できるし、更に上を目指すことが出来る。
なによりも、自分が上手くなったという感覚はスポーツにおいてかけがえのない財産だ。
そして筆者が何も才能が無い中で19年間戦って得た最大の財産、それは
才能とは上達の効率であり、上限
そして効率は自力で上げることが出来る
ということだった。
それはトレーニング方法であったり考え方であったりモチベーションの維持だったり勉強することだったりサッカー観戦の時の注目ポイントだったり。
様々な所に上達のヒント、というよりも上達効率UPのヒントは転がっていた。
それをもっと早く知っていたら、もしかしたらもう少しだけ良い選手になれたかもしれない。
だからこそ、今頑張っている人たちに筆者は伝えたいのだ。
後から気付いて後悔するのは、とても辛いことだから。
努力は裏切らない、には続きがある
成功したアスリートがよく言うこと。
「努力は裏切らない」
これは間違いではない。
しかしこの一文だけではものすごく誤解を招く。
筆者が考えているのは、
「努力は裏切らない。成果は量×質×才能で決まる」
ということだ。
努力には最短で実る質の高い物もあれば、ほぼ無駄に終わってしまう質の低い物もある。
そしてそれが身につくかどうかは、才能も大きく関わってくる。
だからこそ、上達の効率を上げることが必要なのだ。
上達の効率はこの式には入っていないが、全体の効率を上げるわけだから式としては
(量×質×才能)×上達の効率
という表し方となる。つまりは才能とほぼ同じ位置になる。
生まれ持った才能が乏しくても、技術で効率を上げることが出来れば。
後天的な努力で才能に等しい能力を身につけられれば。
それはある意味才能に抵抗できる手段かもしれない。