サッカーが上手くなりたい人へ。僕に足りなかった「ストイックさ」について考えをまとめる。

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選手を辞めるとき、「やりきった、悔いは無い」と本気でそう思っていた。だが、辞めてから自分の半生を冷静に振り返ったり、成功した人との差異を考えたり、より様々な分野の見聞を広める内に「自分には努力が全く足りていなかったんだな」と思うようになった。

そこで今回は、なぜ考えが変化したのかであるとか、どんなものが自分に欠けていたのかとか、努力の才能ってなんだろうとか、そんな自分の考え方や変化について書き残していきたい。

誰かの役に立つかは全く分からない、だがこれを書かないと悔いが残りそうな気がする。そんな動機で書く。

だからこの記事は参考にはならないかもしれないし、エッセイみたいになるかもしれない。興味の湧いた方だけ読んでくれればいい。もしかしたら逆にサッカーに限らずあらゆるスポーツ、競技、社会人、学生の役に立つ、かもしれない。そんな記事になると思う。

 

 

 

 

 

辞めた直後の自分の心境

 

 

詳しくはこちらの記事に転載したnoteに書いた。

【2019年のnote記事移行】私がサッカーをやめた話【追記あり】

【2019年のnote記事移行】私がサッカーをやめた話【追記あり】

 

この中から抜粋すれば

そう言い切れるし、後悔はない。

努力の才能が無くとも、やれるだけのことはやった。

という辺りが当時の心境だ。これ以上俺には出来ない、と思うほどにやったつもりだった。

実際、努力の量だけで言えばボチボチ頑張っていたと思うのも本心だ。

 

だが努力は量で満足してしまっては何の意味も無かった。

 

※関連記事

思考を止めるな、自主トレは「メニュー」ではなく「目的」にこだわれ。

 

なぜそのような考え方が今になって出来るようになったか、まずはここから書いていきたい。

 

 

メンタルと成長は密接な関係にあるのでは

 

 

筆者は辞めてから考え込むことが増えた。ブログを書くようになってからなお増えている。

「なぜ自分は成功しなかったのか」
「自分が考えてきたことで、誰かの参考になるものはあるか」
「過去の自分を救えるとしたら何を教えるか」

ということを延々と考えている。自分が年を取ってから気付いたことであったり、頭では理解していてもプレーで表現できなかった理由だったり、思い付いたことを少しずつ文章や図にしながらブログとしてまとめている。

その中でずっと筆者の頭をよぎっているのが「メンタルの弱さ」である。

 

「感情を理屈でねじ伏せる力」は上達に必要だと思う話

 

この記事をつい先日書いたのだが、良い具合に自分の欠けていたメンタリティについてまとめることが出来たのではと思う。

要はとても端的にこの記事で主張したことをまとめれば、

「メンタリティによっては成長の機会損失が大きくなる」

というものだ。そして筆者はその点でも努力する才能が無かったのだなと痛感している。というか選手をやめてから、自分の「私は努力できる」という自覚がただの自惚れであったことを思い知ることとなったのである。

 

 

筆者の間違ったストイックさ

 

筆者は自分のことを多少なりともストイックな方だと思っていた。だがそれはあくまでも「練習量」という観点でしか無かった。逆に言えば筆者は、練習量という観点でしか努力を見ることが出来ていなかったのだ。これはストイックでは無く、ただの思考停止だ。上手くなるために努力しているのでは無く、努力することが目的になっていたのだと思う。

そんな思考回路になっていたから、練習時間は誰よりも多いが質が悪いという自己満足に浸っていたのだと思う。

これ、今になって思うのが「自分に甘かった」ということだ。

先に挙げた記事の中に、こんな部分がある。

考えるべきは、自分の恐怖心を「生産性を上げるために」という理屈でねじ伏せる力を付けることなのでは無いか。

この部分が出来なかったということは、肉体的には自分を追い込めても精神的な甘えがあったと言うことだ。
人に厳しく指導されたときに真っ正面から受け止めることが出来ていない、それは紛れもない甘えなのだなと今ならば分かる。結局、自分が傷つくのが怖くて逃げていただけなのだなと。そりゃ上手くならないなと。自ら上達する機会を失っているのだから当然だ。

恐怖や怯えと向き合い、打ち勝つ。何度倒れても逃げずに立ち向かう。そのチャレンジ精神こそが必要なのだ。

 

正しくストイックになる

 

正しいストイックさを読者の皆様には是非身につけて欲しい、ということでまずはストイックという言葉の意味から辿ってみよう。

 

「ストイック」という言葉は一般に苦痛・歓喜・強欲・歓楽に無関心な人を指して使われる。「感情を抑え、我慢強く耐える人」という近代の用法は1579年に名詞の形で初めて見られ、1596年には形容詞の形で見られた

引用・・・Wikipedia-ストア派

 

ということでこの記事自体は非常に難解だが、要は自分の苦痛や欲を押さえ込み耐えるという捉え方で良いと思う。

ここで大切になるのが、肉体的な苦痛だけでは無く感情を抑え込むと表現されている点だ。この点からも、ただ必死に頑張ればいいという訳では無いことが窺える。

そもそもなぜストイックな人が成功すると言われているのか。答えは明白で「結果を出すための努力が人より優れているから」である。量が多いから、というのは一つの手法に過ぎない。努力が優れている、という単語についてもっと追求しなくてはいけないのだ。

努力、という点で書いた記事がある。

あなたは「正しい努力」が出来ていますか?~がむしゃらは善か悪か~

この記事の中で

実際のプレーでも自主トレでも、一番大切なのは目的を見失わないこと。何のためにこれをするのか。目的のための最善の手段は何か、常に考え続ける。

という部分がある。たぶん、正しいストイックさはこれだ。

努力に満足する、それは感情に振り回されていると言うことだ。努力するという行為自体に快感を覚えている。

正しくストイックであるためには、「出したい結果」がまず念頭にあり、それに向けてより適切な取り組みを試行錯誤しなくてはならない。思考停止して努力している時点で、それは誤った努力になってしまう。

もちろん正しい取り組みに辿り着ければ、そこからは量が必要になることもあるだろう。シュート精度を高めるためにひたすら本数をこなす必要もあるかもしれない。だがその時にも、一本一本の質にこだわれるか、それも大切な要素となる。

キーパーに止められた!クソ!次!と流れ作業のようになってしまえばその時点で効率は落ちてしまうだろう。

 

筆者を例に出せば、

「向き合うべき課題を、恐怖に負けて投げ出した」
「自主トレの量を正義と勘違いした」

という点で二重に間違っていたことがよく分かるだろう。自主トレを頑張る前に、まずはチームトレーニングで恐怖心と戦うべきだったのだ。結果として、成長できないチームトレーニングに現状維持しか出来ない自主トレを重ねていた、哀れな選手だったのだ。

 

「量か質か」ではなく「量も質も求める」

 

一本シュートを打つ毎に自分の体の感覚と実際のシュートの質を照らし合わせながら試行錯誤する、というのは簡単では無い。テンポよく練習できないし、気持ちよくないだろう。

だが結果を出すためには、おそらくそれが最善の方法なのだ。足のどこでボールを捉えたのか。軸足の位置はどうか。どんな回転で飛んでいるのか。球速はどうか。かみしめるように一本一本の感覚を振り返り、次の一本に活かさなくてはいけない。その上で、それを繰り返し向上させるのだ。

質か量か、ではない。おそらくだが筆者の中での結論は、

「質を確保した上で量を求める」

というのが最強なのでは無いかと思う。質の悪い努力は良くて現状維持、悪ければ努力すればするだけ下手になる可能性もある。正しい取り組みを見つけた上で質を高め、それを積み重ねていくべきだろう。

更に言えば、積み重ねる中でも常に頭を働かせ

・当初の目的からずれていないか
・思考停止で取り組んでいないか
・目標を修正する必要は無いか

など定期的に振り返るとなお良いと思う。

 

学校の勉強がなぜ社会で活きるのか

 

時に話は大きく変わるが、

「学校で数学を勉強しても社会人で使わないじゃ無いか」

という論調があると思う。この論調に対する反論としていかに数学を使うか、という主張も聞くが筆者の中では

「勉強を通して成長する経験、取り組み方を習得する」

というメリットがあると考えている。目的に向かってどう努力して、どう積み重ねていくのか。いわば学習のノウハウを体得するのに義務教育というシステムは適しているのでは無いか。

学歴が就職に影響するのも、学力を重視していると言うよりもそれだけの努力が出来る人材が欲しいという観点で語られることが多い。そういった意味で、学校の勉強は将来役に立つ部分があると筆者は思っている。

 

そしてこれはスポーツにおいても同様だ。スポーツを通して自分が向上するためのノウハウやコツを身につけることは将来きっと助けになる。

もちろんそれを目的としてスポーツをするべき、とは全く思わない。自分の意欲のままに競技に突っ走って欲しいと思う。だがサッカーだけやってきて何も残らない、なんてことはきっとない。自分と向き合う時間は社会人になっても絶対に求められる。その時にアスリート気質を発揮できれば、サッカーじゃ無くてもスポーツじゃ無くても、きっと戦える人間になっているだろう。

 

閑話休題。

 

まとめ、後書き

 

まず、主張をまとめる。

・筆者の間違ったストイックさを反面教師にして欲しい
・恐怖や怯えと向き合い、打ち勝つことが必要
・努力は質を確保した上で量を積み重ねるべし
・絶対に思考停止してはいけない、結果を出すために頭を働かせよう

 

そしてここからは後書き。

 

最近、ゲームをずっとやっている。チーム形式の対人ゲームだ。ランクマッチと呼ばれる本気モードがあって、勝敗によってレートが上下するシステムがあるようなゲームに挑んでいる。

その中でも負けず嫌いというか、どうしても熱くなってしまいトレーニングモードにこもったり射撃練習専用のソフトを買ったりと割と熱が入っている。

こういったゲームというのはキャラ毎の相性や役割と言った、いわゆるメタを知ることが非常に大切になる。ゲームの仕組みと言ってもいい。メタを知り、覚え、反射的に考えなくても対応できるようになることが上達だとゲームを通して改めて知ることとなったのだが、その中でいかにサッカーをやっていた頃に自分を客観視できていなかったかを知ることになった。

それと共に、努力というものの捉え方が自分の中で再構築されているためここ最近の記事は努力に関係するものが増えてきている。どうかご了承いただきたい。

つい最近、ゲームからまた一つ学んだことがあるので一つ記事にしたいのだがそれは置いておいて。筆者はやはり勝負と競争が好きなのだな、と改めて痛感した。だからこそ未練も後悔も沢山あるし、今でも現役時代のことを夢に見たりもする。この後悔を誰か引き継いで欲しい、というのは何度も書いてきたことだが今なおその意志が続いている。たぶん一生続くのだろう。

 

 




 

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