リクエスト記事「僕と田村ゆかりさん」

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先日ツイッターでこんなリクエストを頂いたので、せっかくだから書いてみようと思う。

「僕と田村ゆかり」というテーマだ。

 

私はツイッターのプロフィールにも入れているように、田村ゆかりさんのファンだ。

 

田村ゆかりさん公式のMV。可愛い。

 

で、田村ゆかりさんと言えばアビスパ福岡というのがここ数年におけるサッカー好きの認識だと思う。

 

実際、福岡ではかつてこんな企画も行われていた。

ネットラジオにはユニフォームを着て参戦したり、サッカー好きとしての認知が年々向上している気がする。

アビスパサポの方がこれをきっかけに田村ゆかりさんを知り、逆に田村ゆかりファンがアビスパを応援するようになった事例も沢山あるようで、とても良いことだと思う。

 

閑話休題。

私と田村ゆかりということで書いてみようと思うのだが、そういったサッカーの関係も踏まえて書いていきたい。

応援するもの、応援されるもの。そんな関係性も踏まえて、是非どうぞ。

 

 

田村ゆかりとは

 

まずもって、田村ゆかりさんの紹介を簡潔に。

 

 

著作権の関係で画像が持ってこれなかったので代わりに商品を。最新アルバムです。買ってください。

 

 

女性声優、歌手、ナレーターとして活躍。

代表作に「ひぐらしのなく頃に」の古手梨花、「NARUTO」のテンテン、「のうりん!」の木下林檎など。

またラジオでも20年近く一人で放送し続けている実績があり、2006年には、文化放送A&Gゾーンにおいて聴取率1位を獲得している。

水樹奈々、堀江由衣と共に「御三家」と呼ばれることも多い。

ファンクラブの正式名称は「Mellow Pretty」だが、「ゆかり王国」と呼称される事も多く、ファンクラブ会員は「王国民」と呼ばれる。

 

 

とまあこんな感じ。ざっくりまとめてしまえば

「一時代を築いたトップ声優、歌手活動もラジオ活動も人気」

ということになるだろうか。今なお人気があり、アニメやソシャゲへの出演も多い。

 

 

私が田村ゆかりさんにはまったきっかけ

 

私が初めて田村ゆかりさんの事を知ったのは、高校2年生の時。2011年だ。

 

それまでの私はアニメは見るが声優のファンになる、と言うことはなかった。

むしろ音楽的嗜好としてはロックが多く、THE BLUE HEARTSやOffsprings、THEE MICHELLEGUN ELEPHANTなどロックを中心に聴いていたと思う。

 

出会ったきっかけは、高校時代の同級生だ。

アニメの話題から仲良くなり、ある日田村ゆかりについて布教された。

今思うと「布教」という言葉がドンピシャだなあと感じるほどに熱心な宣伝を受けていた。

その当時に見せて貰ったライブ映像が、とにかくエネルギッシュで凄まじかった。

 

 

当時見たものとは違うけど、公式でYoutubeに掲載されているライブのトレーラーです。

 

王国民と言えば「コール」

 

この映像を見て頂くと分かると思うが、とにかくコールがとんでもない声量で行われている。

いわゆるアイドル的な「合いの手」だけでは無く、m.o.v.eのmotsuさんとコラボした曲ではラップパートを全て王国民が完璧に歌い上げる光景がお馴染みと言われるほど、王国民のコールの練度は高い。

 

ラップを数千人が揃って歌うのだ。割とヤバいと思う。

 

そんなコールの熱量に私は圧倒され、参加してみたいと思うようになった。

ただここまでは田村ゆかりさんに魅せられたというより、コールに惹かれたという方が正しい。

当人の魅力に惹かれたきっかけはライブ映像のアンコール曲だった。

 

普段はゆかりんのテーマカラーとして、ペンライトはピンクが使われている。

だがこのアンコール曲の歌詞にあわせて、特別なイエローのペンライトで出迎える王国民、それを見た瞬間に感極まって泣いてしまうゆかりん。

 

その映像を見た瞬間に、私はゆかりんの魅力に取り憑かれたのだと思う。

その数ヶ月後には発売されるアルバムを初回限定版で予約して、更に数ヶ月後には少ないお小遣いから年会費を捻出してファンクラブへ加入。

 

そして忘れもしない高3の秋。初めてのライブに参加したのである。

部活の練習試合後にそのまま直行、八千代サッカー部のジャージで訪れたことまで覚えている。

その後はずっとファンであり、多忙な時期にライブ参戦できないなど紆余曲折あるものの、26歳の現在でも熱心に応援してるという状態だ。ファンクラブ在籍8年ぐらいだろうか。

 

2021年はツアーに4公演も参加してきました。

 

僕は田村ゆかりさんに救われてきた

 

はっきり言って、僕は選手時代の大半を苦しみながら送ってきたと思っている。

高校は肉体的、精神的に。専門では将来に。社会人では限界に。

それぞれひたすら苦しみながら選手生命を終えたからこそ、それらを誰かに伝えたくてこんなブログを書いているのだ。

 

そんな私が戦い続けられたのは、間違いなく田村ゆかりさんに救われてきたからだ。

忘れもしない、初めて参加したライブ。NHK東京ホールで見た姿。私は「神は居るか」と聞かれたら「NHKホールで見た」と答えるだろう。

 

フィジカル的にしんどい合宿ではひたすらウォークマンでゆかりんの曲を聴きながら耐えた。

プロを諦めて、それでも選手をやりたいと悩み続けていた時、ゆかりんの曲に背中を押して貰った。

ライブに行くたびに泣き笑い、活力という言葉では言い表せない力をくれた。

田村ゆかりさんという人を応援することで、自分が生きる希望を与えて貰っていたのだ。

 

ゆかりさんとアビスパと私

 

そんなゆかりんがアビスパを本格的に応援し始めたのは2016年辺りだっただろうか。

当時の私はとても嬉しかった。自分が打ち込んできたものにゆかりんが接点を持つ、それ自体が夢のようだった。

 

だがまもなくして私は嫉妬とも言える複雑な気持ちを抱くことになる。

その原因となるのが、中村航輔だ。

 


ポルティモンセ公式より引用(Copyright PORTIMONENSE All Rights Reserved)

 

彼は当時、柏レイソルからアビスパへレンタル移籍していた。彼と私は同い年、しかもお互い柏出身。

小学生時代にGKとしてプレーしていた私にとって、中村航輔という名前は強く刻まれている。当時最先端のエリートであり、無事に身長が伸びたらプロになるんだろうなと思っていた。

その一方で私もほんの少しだけ名を知られており、勝手にライバル視していた。結果的に私は身長がまったく伸びなかったため中学校でGKを辞めることになるのだが。

 

そんな勝手に宿敵認定していた中村航輔が、アビスパ福岡で守護神となり。

なんと田村ゆかりさんに「こーすけ」と呼ばれるようになった。中村航輔当人がどれほど嬉しかったのかは分からない。だが私にとってはなんというか、悔しさが尋常では無かった。

分かってはいるのだ。才能も努力も全て彼に劣っていることは。でも悔しいというかなんというか。

そして私は燃えた。東北リーグから上に行くぞ。と同時にSNSでチームの宣伝もして、自分の名前も宣伝して、やれることは全部やるぞ。

といった経緯で、本名でTwitterを始めnoteを始め、なにか出来ることはないかと藻掻いていた。

 

結局選手としてまったく結果を残せなかったまま引退するのだが、原動力には田村ゆかりさんへの熱意だけでは無く、嫉妬に近いマイナスの感情もあったことは事実だ。

ただ今でもフォローして頂いている方の中には、王国民サッカー選手と言うことで私のことを知ってくれたという方もいらっしゃって、無駄では無かったのかなとも思っている。

 

そうして選手を辞めたあとにnoteがバズり、フォロワーが4倍以上に増えるのだから人生は分からないなあと思う。

ちなみにバズったnoteはこちら。現在はこのブログ内に転載しております。

【2019年のnote記事移行】私がサッカーをやめた話【追記あり】

 

応援する側、される側

 

サポーター、ファン、それは応援する生き物だ。背中を押し、声を枯らし、お金を投じて応援していく。

 

それに対し田村ゆかりさんは、基本的に応援される人間だ。

数万人の前でライブやイベントを行い、CDを売り、声を届けている。ファンが沢山いる。

そんなゆかりんが、応援する側に回るのは不思議な気持ちだった。

 

私は、自分で言うのもおこがましいがどちらも経験したことがある。

地域リーグ時代には600人近い観客の前でプレーするという貴重な経験が出来たし、柏レイソルのゴール裏は何度も経験した。田村ゆかりさんのライブも言わずもがなである。

 

だからこそ、ゆかりさんにはいつの日か聞いてみたい。応援する側とされる側の行き来、そこに何か感じるものはあるか。

 

自分の場合は、いつも自問自答していた。

自分が応援する側の時に感じたワクワク、高揚感、正体も分からぬ活力。それを応援してくれる人に与えることが出来ているのだろうか。感謝を伝えることは出来ているのか。

今でもたまに思う。弘前で応援してくれた人に何か出来たのか、それは正直まったく分からない、分かったつもりにもなりたくない。

ただ、「山田君は最後の挨拶、一番長く深い礼をするよね」と一度言われたことがある。

まったく意識していなかったが、そういうところに気持ちが表れていたのなら嬉しい限りだな、と思う。

 

実は今書いてて思い出したのだが、田村ゆかりさんのライブ後の挨拶、尋常じゃ無いほど丁寧なのだ。

座席のブロック毎に手を振って、なるべく多くの人に目を合わせる。見えにくい席には、ステージ端ギリギリまで機材を飛び越えて手を振りに行く。

もしかしたらそんな姿に、どこか影響を受けていたのかも知れない。

もっともっと有名になっていつかゆかりさんにインタビューできたら良いななんて、柄にもなくまた夢を持ってしまっている。

 

一番背中を押して貰った曲

 

最後に、一番苦しいときに支えて貰った曲を勝手に紹介したい。

 

 

アルバム「シトロンの雨」より、Heavenly Stars。

 

この曲の中に

「怖くないよ おんなじ時間 おんなじ空の下に

 君がいる ただそれだけで 強くなれる」

という歌詞がある。

 

サッカーに多忙でライブに行けず、開催状況と友人の様子だけを眺めていたあの頃。

それでもこの歌詞に元気を、勇気を貰っていた。

先日、この曲のアコースティックアレンジをライブで聞く機会があった。号泣した。

今はもう選手として第一線では出来ないし、その熱量もどこかにいってしまった。使い果たしたのかも知れない。

でも、その時の熱と記憶は体に刻まれているのだなと。

 

そこに刻み込まれたのは自分の葛藤、後悔、自己嫌悪、嫉妬、そしてゆかりさんに支えて貰っていた感謝だったのだと思う。

 

これから

 

私は近いうちに、また現役に戻りたいなと思っている。

以前のように生活の最優先がサッカー、という生活はもちろん出来ないが、土日に公式戦が出来るような、そんな状態を作りたいなと思っている。

と同時に、このブログをちょっとずつ充実させるために日々インプットとアウトプットを増やしていくのがしばらくの目標になる。

たぶん、サッカーに全て捧げていた頃とは違う辛さが私を待っている、というか既にだいぶ感じている。

それでも私はまた、田村ゆかりさんの曲に、声に、姿に元気を貰いながら進んでいくだろう。

もしこのブログが少しでも誰かの力になるのであれば、その功績の一部は間違いなく田村ゆかりさんだ。




 

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@山田有宇太

 

 

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