「人としての教育」と「サッカーの実力」は分けて指導するべき理由

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先日、こんなツイートをしたら大分反響をいただいた。

 

 

 

 

最前線の教育の場は分からないが、筆者の中高時代は「人間性が実力と比例する」というような指導がとても多かった。

だが筆者のサッカー経験、そして挫折の経験からこの指導法、考え方に警鐘を鳴らしたいと思うようになった。

今回はその考えに至った経緯、具体的な危険性、選手目線でこうして欲しかったというような話をしていきたい。

割と生々しい話になると思う。だがこれが筆者の見てきた現実だ。

 

 

 

 

 

 

筆者の受けてきた指導

 

先のツイートにもあったような指導を筆者は割と色濃く受けてきた方では無いかと思っている。

強豪校あるあるだと思うが、ミーティングが頻繁に開かれる。そこで言及されることの多くは人間性についてだ。筆者も様々なことを言われてきた。代表的な二つについて。

 

返事が小さいから上手くならない

 

これはサッカーに限らないかもしれない。指導者に何かの返事を言われたときに返事が小さいと即罰走だったり説教が入ったり。

さて、指導者は声の大きさで何を見ているのだろうか。未だによく分かっていない。仮説としては自信の有無とか積極性というところになるのかもしれない。

そしてこれも強豪校あるあるだと思うのだが、一番声が大きいのはAチームに最も近いBチーム。Aチームは割と淡々としている。そんな学校が少なくないと思う。頑張りが足りないからAチームへ行けないんだ、と尻を叩かれるBチームの宿命なのかもしれない。

 

整理整頓が出来ていない

 

よく部活動の試合に行くと、エナメルバッグがびっちり並べられている光景を見かける。これのほとんどは指導者の声かけによる物だ。少しでも乱れていたりすれば怒号が飛ぶ。

指導されるサッカーについての理論は整頓されていないのに、荷物ばかりが綺麗になる三年間であった。

さて、これらの指導はメジャーだと思う。確かに人として、挨拶できないチームは好きになれないし荷物がぐちゃぐちゃなチームも「ん?」と思うことはあるだろう。そういった意味では、これらをきちんと出来ることはとても大事だと思う。

筆者が一番問題だと思っているのは、これらをサッカーの上達に結びつけて指導している点だ。もっと分かりやすい言い方をすれば、「サッカーを餌に人間性を指導している」と筆者は思っている。

 

なぜ人間性と実力を混同するのか?

 

冒頭のツイートでも、強いチーム弱いチームというくくりで生活習慣や人間性について触れられていた。つまりは人間性が優れていれば成長できるという考え方をしている、ということになる。だが果たしてそうだろうか?

 

優れた人間性と成長する性格は一致しない

 

選手として成長しやすい性格、というものは存在すると筆者は考えている。ネガティブな選手よりポジティブな選手のほうがメンタルが凹むことなくトレーニングを続けられるし、ほんわかした性格よりも負けず嫌いの方がパフォーマンスが向上する可能性は高い。

なにより一番必要なのは、「競技にストイックであること」だと思っている。勝ちたい、上手くなりたい、そういった選手は伸びる傾向にあるだろう。

だがこれらの性質を持っていることと、人間的に優れていることはイコールで結ぶことが出来ない。

例えば実際に周囲にいたタイプとして、「極度の負けず嫌い、コーチによく質問もする。だが雑用は絶対他人に押し付けるし自分より下手な人間を見下している」というような人間がいた。彼は雑用や裏方の仕事はほとんどしないが、試合では勝つために全力で挑むため味方のカバーも献身的な運動量も持っていた。

さて、これは人間性が優れていると言えるだろうか?

もしかしたら人を見下すことがメンタルの強さの根源だったのかもしれない。試合だけ見たらとても味方想いな選手に見えるだろうし、というように良い人ではないが選手としての適性は高い、という異なる評価が出来る。選手を見る角度を変えないと分からないことだ。

これは極端なタイプかもしれないが、このように成長しやすい性格でありながら人間性に問題を抱える優秀な選手は決して少なくないだろう。

 

競争の敗北の理由を人間性に求める危険性

 

こういった選手に競争で負け、控えに甘んじている選手に対して指導者が冒頭のツイートのようなことを言ったらどうなるだろうか。彼よりも人間として劣っていると受け取った場合、その後の人生に大きな影を落としてしまう危険性がある。

そもそも自由競争に挑んでいる以上、敗北する者は絶対にいるのだ。もし全国優勝を勝利と定義するならば、全国で1校しか勝者になれない。敗者はどこにでも、間違いなく存在する。

その敗者に対して、人間性を理由に求めることは非常に危険だ。サッカーで競って負けたのであれば、サッカーの実力が及ばなかったに過ぎない。人間としての優劣などそこに求めるべきではない。

 

指導者の逃げ道になる

 

サッカーで競って負けたのであれば、挑むべきはサッカーの改善だ。負けた理由を整理整頓に求めても選手は納得しないし、整理整頓が上手くなるよりも正しいトレーニングをした方が勝率は上がるだろう。

特に部活動は学校という組織の中に存在するため、教育としての側面を持つことは仕方が無いのかもしれない。だがそこにサッカーという競技の実力を混同してしまうことは逃げであり、選手に対するリスペクトが足りないと筆者は感じる。

一番悲惨な結果は、実力不足をサッカーの指導では無く人間性の無理矢理な指摘によって結論付けてしまうこと。選手は無意味に傷ついてしまうし、サッカーの実力は向上しない。最も避けなくてはならない事態である。

 

 

人間性が大切な理由

 

誤解を招きたくない点として、筆者は人間としての教育が必要ないとは全く思っていない。むしろ選手こそ人間として成長するべきだと強く考えている。簡潔にその理由についても述べていこう。

 

応援されるという価値

 

どこでサッカーをするにしても、一人でサッカーをすることは出来ない。特にプロを目指すのであれば、応援や支援を受けて初めて選手としてサッカーに集中することが出来る。筆者は地域リーグではあるが、スポンサーやサポーターに支えられながらプレーする貴重な経験をすることが出来た。

そこで感じたのは、「応援されるという価値」の大切さだ。

選手によって応援される理由は様々だ。華麗なプレーを見たい、チームのために戦うのがかっこいい、日頃から頑張っている。サポーターやスポンサーはそれぞれの価値で応援を決意し支えてくれている。そこには人間性も大きく関わってくるだろう。全く感謝の気持ちが見えなかったり、無礼な態度を取る選手がいれば応援や支援は少なくなる。それはチームにとっての大きな損失だ。選手である以上、求められるのはチームへの貢献。その貢献の仕方の一つに「応援される」という魅力や価値があるのだ。

 

チャンスを掴みやすい

 

この心理に関しては指導者も同じく持っていることだろう。実力の拮抗した二人の選手から一人を選ぶのであれば、人間性というものは大きなアドバンテージとなり得る。また、強豪チームや学校への推薦などは出身チームの名前を背負うことになる。Aというチームから実力は素晴らしいが周囲に負の影響しか与えないような選手が強豪へ進路を取った場合、Aというチームはクソみたいな選手を輩出するというイメージを持たれてしまう。そうなれば強豪への推薦は出来なくなるだろうし、チームとしてのブランドが地に落ちてしまう。それを避けるためには実力があっても人間性に問題のある選手を推薦しないという選択をする。結果として、人間性に問題を抱える選手はステップアップの機会を失ってしまう。指導者は皆、育って欲しくて指導している。チャンスを与えたいと思っても、それに値しない人間だと判断されてしまえば機会を得ることは出来ないだろう。

 

人生は長い

 

サッカーの実力だけで人生が変わる時期は、決して長くはない。誰もが引退する。その先に待っているのは選手ではない、人間としての人生だ。もし誰からも好かれない、周囲に貢献できない人間性のまま引退してしまえばセカンドキャリアはお先真っ暗だ。仮に何もビジネスの能力が無くても人として魅力があれば、助けの手を差し伸べてもらえるはずだ。

 

 

教育が重要だからこそ、サッカーと分離する

 

上記のように、人として教育や指導を行うことそれ自体はとても重要だ。だからこそ、サッカーと混同しないで分けて指導して欲しいと切に願う。育成年代は思春期だ。その時期に、「成長しないのは人として駄目だからだ」と言われたらどんな気持ちになるだろうか。

「プレーのレベル的に、君はAチームに上げられない。だがその努力する姿勢は素晴らしいし裏方の仕事をやってくれているのは見ている。いつもありがとう。」と別個で評価して選手と向き合って欲しい。筆者はそうして欲しかった。逆もまたしかりだ。

「君は上手いから試合に出れているが、問題のある行動が多い。」としっかり指摘してあげる。あくまでもプレーや競争とは分けて。

 

サッカーに真剣に取り組むことで、人として成長することは大いにあり得る。だが選手は人として成長するためにサッカーをするのではない。上手くなるためにサッカーをするのだ。その目的と副産物的な結果、そこに至るまでのプロセスを混同してしまってはいけない。プレーが成長しないならばその原因をサッカーとして説明するべきだし、それとは別個で人間性に関しても関わっていくべきだ。サッカーと人間性は関わるかもしれないが、サッカーの結果と人間性に結論を求めるべきではない。勝った試合でも人間的な指導が出来、負けた試合でも人間性を褒める。そんな分離した指導が広まれば、もっとサッカーが好きな選手が増え幸せな人生を送る手助けが出来るはずだ。

 

願わくば、この混同による被害者が少しでも減ることを。