「サッカーにどれだけのリソースを懸けるか」を大人が導くべきかという話

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ツイッターで面白い話を見付けた。

 

サッカーに高校以降の進路を全振りして選んできた結果、酸いも甘いもなかなか貴重な体験が出来た私からすると結構興味深い話だし、私だからこそ言える話もあるかもしれない。

ということで、指導者では全くないが個人的に思うところを書いてみようと思います。

 

サッカーを辞めさせる必要は全くない

 

そもそもここのワードが強すぎて色んな誤解を招きそうではあるんだけど、まずもって辞める必要も辞めさせる必要も全くない。これをはっきりさせないと行けない。

海外事情はぶっちゃけよく分からないから日本国内で良くある話をすると、

「本気でやってないと続ける価値がない」

みたいな価値観が案外有るんだよな、と思っている。

土日も長期休暇も犠牲にして打ち込むか、全く離れるかの二択。んで、特に学生にそれを求めがちなんじゃ無いかなあと思っている。だから辞めるかプロを目指すか、みたいな話になったりするのよねなんて。これはあくまでも空気の話ね。現場でそういう選択ばかり求められる、って訳では無いけど。

だからこういう議論をしても白黒二択!みたいな話になることが少なくないと思うんだけど、サッカーとの付き合い方なんてそんなに簡単なもんじゃ無かろうと年を取ってから知るのである。

 

どれだけのリソースをサッカーに賭けるのか

 

じゃあ何を導くねんっていう話なんだけども、個人的な感覚で言えば

「どれだけのリソースをベットしますか?」

と言うところになるんじゃないかなあと。そしてここを見間違うと後の人生において厳しくなる可能性があるよなあと言う話。

夢を追うには犠牲が伴うことが多いし、他の選択肢を捨てて挑む場合が大抵だと思う。それっていわばギャンブルな訳で。サッカーに賭けてきた熱量を他のことに回したら成功する可能性は案外高い。それらを一旦捨ててサッカーに注ぎ込むことが本当に幸せなのか?ということを考えなくてはならない。

高校までで全国大会にすら全然絡めないような選手が「それでもプロになりたいからチャレンジします!」といって多大な犠牲を払いながら戦う。滅茶苦茶美しい光景だけど、それって本当に勝算があるの?という話。

専門時代の恩師の話

これはサッカーの専門学校、JAPANサッカーカレッジで超お世話になった、とある人の話。

その人は、大学一年目で筑波大学と試合をして、とんでもなく打ちのめされたらしい。その結果、

「プロは無理だ、4年間で少しでもあいつらに追いつくことを目標に、そこをゴールにしよう」

とプロを諦めた上で、本気で上手くなるためにサッカーと向き合って努力し続けた。

その後その人は、ホペイロ(サッカーチームの用具管理などを担うスタッフ)として働く夢を叶えるために、まずは指導者の気持ちを知ることを目的として指導者をやっていた、そこで私は出会ったらしい。

賢い人は諦めが早い

これはdisでもなんでもなく、正しくサッカーの実力や自己分析が見えているからなんだろうけど、賢い人は自分がどこまで辿り着けるか分かってしまうからこそ諦めが早かったなあと思う部分がある。

明らかに私より上手くてサッカーが同じぐらい好きな高校の同級生もみんな辞めていった。当時は不思議だったけど今なら分かる。賢いが故に見えてしまったんだろうなと、未来が。

 

さて、ここまではリソースを割くことを辞めた人たちの話。

ここからはリソースを無限に割き続けた私の話をちょっとだけしたい。

賢くなかった人の話

私は全く賢くなかった。理由もあるんだけど。

先に言い訳をしておくと、「成功には根拠のない自信が大事だ」という言葉を純粋に信じた結果、本当に根拠のないただの妄想を抱え続けていた。だから八千代高校でトップチームに一度も入れないという状態なのに、「まだプロになれる」と信じて疑わなかった。

そもそもで言えば、八千代高校に入ったのだってサッカー最優先で選んだものだった。本来は姉と弟が進学した、進学校的立ち位置の公立高校に行くつもりだったのが、サッカーを全ての選択肢において最優先させる決断をした結果進学した。

で、一回もAチームに入れないのに諦められず、JAPANサッカーカレッジというサッカーの専門学校へ、そこから地域リーグへと進んでいく。

専門学校の途中で「俺はプロは無理だなあ」と気付いて、それでもサッカーを続ける決断をするのだが、それはまた別のお話。

プロになれなくても、サッカー続けますか?

 

この専門学校ってのが面白くて、そんな感じの奴らばっかりが集まる学校だったんだよね。諦めきれず最後のチャレンジをしにくる。

けれどもこの時点で俺は判断をミスしたと思っていて。絶対に4年制大学を出た方が将来の潰しがきくし、強豪と言われるような大学でも無制限に入部出来る学校は探せばあるのだ!と知ったのはだいぶ後だった。

リソースを全振りする恐怖

そんな感じで、最後の希望をかけて集まってきた者が沢山友達に居るので、その末路も沢山見ている。ぶっちゃけみんな苦労している。四大出てないし社会人経験もサッカーチームから紹介された仕事だから、セカンドキャリアは絶望的。サッカーのスキルそのものが活かせる仕事なんてほとんど無いし、指導者で食っていくなんてこれまた地獄だったりする。

だから私は、リソースを全振りしてプロだけを目指すって超怖いよなあと今になって思う。

生存バイアス美談に夢を重ねて

そもそもよーく考えれば、プロなんて夢のまた夢な訳で。プロになるような選手はおおよそ幼少期でもう分かっちゃうぐらい別物。それでプロになっても数年で引退してたりJFL以下のアマリーグに移籍してたり、生き残るなんて更に奇跡。

なのになぜ人は諦めきれないのか。諦めなかった結果夢を叶えた話にみんな憧れるからだ。

俺もいつかはああなりたい!ってなるし、周りの大人は努力で夢を叶える尊さを力説してくる。

けども、そもそもプロになるのが夢な上に、更に高校生以上から大逆転なんてもう奇跡中の奇跡な訳で、世の中の成功ストーリーほど現実は甘くない。

雑草出身と言われる長友だって高校時代はボランチでゴリゴリに全国出てるし、伊東純也も超サクセスストーリーみたいに言われてるけど大学時代から化け物の噂はあったし、見つからずにいきなり爆発するなんて有るわけがない。

ただねー、敗者の話って伝わらないのよね。だって話す人居ないし。成功談の方が聞く機会が多いから、みんなそこに夢を重ねる。

リスクと選択肢を伝えるのは大人の役目

だからこそ、大人としてリスクと選択肢を伝えるのは結構大事なんじゃ無いかなと思っている。

サッカーを続けるのは、なにもプロを目指すだけでは無い。むしろ生涯スポーツとしてアマチュアで愛することをもっと知って欲しいなとすら思う。

日本というのはプロリーグが先にできたという歴史的背景もあってプロ主導なんだけど、もっとみんながプレイヤーになる未来が見たいなあと思うし。

となったときに、サッカーを最優先にしないで、でも付き合っていく生き方を教えたり。

サッカーを追いかけることのデメリットやリスク、そして選手の立ち位置から現実的な話をしてくれる大人ってのはマジで大切だ。そしてほとんど居ないと思う。夢を語る方が、挑戦を進める方がお互いに気持ちいいからだと思う。

でも結構しんどいですよ、本当に。

私なんかはサッカーを辞めたら人生が余計困難になるというか、辛さと向き合わなくちゃいけなくなるって分かってしまったし。

私ぐらいのレベルでも、ありがたいことに知り合いから次のチームに誘って頂いたりとか話も合って。しかも仕事も斡旋してくれると。だから選手で居続ければ就活だこれからの人生だと向き合わずに居きられるんだよなとちょっと思ってしまった、だからこそ辞める決断をしたんだけれども。

だからサッカー最優先にせずに、潰しが効く進路を考えたり、付き合い方を一緒に悩んだり、それが出来る指導者さんというのはそれだけ真剣に向き合ってくれる貴重な存在だと私は言いたいなと思う。

最後に私のアドバイス

ということで、持論を自分も言わずにというのは卑怯だと勝手に思うので持論を締めとして。

後悔は皆無

まず声を大にして言いたいのは、後悔は全くしていないということ。

後悔しない選択肢を、と思いながらひたすら生きてきたのが良かったのか、選手としては割りと燃え尽きるまでやれたと思っている。

ただ、後の人生への影響は甚大

とはいえ後の人生に響くことも同時に言いたい。学歴ってやっぱり役に立つし、社会人として空白の数年を過ごすとなかなかキャリアの再建って簡単ではない。突っ走れるまで突っ走る、と決めてサッカーをやっていたが、これが30手前で走りきった場合、よりセカンドキャリアは大変だったのかもと思うとぞっとするときもあるし、年上の知り合いにはまさしくそんな状況がいたりする。家庭を持ちながら派遣で必死に食いつないでる、そんな敗者のストーリーもあるのだ。

リスクと勝算と覚悟次第

なので、追いかけるのを辞めろとは言わない。ただリスクを正しく認識すること、自分にはどれぐらい可能性があるかを根拠無き自信では無く指導者に相談すること、あとはその後の人生に響く影響を背負いきる覚悟を決めることは本当に大事。

上達を目指しながらサッカーと付き合うのはアマでも出来る

これはアマチュアサッカーを知らなかったから持ってなかった選択肢。

働きながらでも、あるいは良い大学に行きながらでも、真剣にサッカーに向き合うことは思っているより出来ることだ。

それが強豪大学の部活という王道で無くとも、真剣なサッカーサークルで熱く活動するも良し、向上心高めの社会人サッカーで腕を磨くも良し。

思っている以上に、サッカーと付き合い続ける選択肢というのは犠牲を払わなくてもあったりするのだ。

もっと楽しいことに出会う可能性は滅茶苦茶ある

サッカー中心に生きていると、他の物事との出会いに気付けないことが往々にしてある。だからこそサッカーが生活の中心から外れることで、知見や視野が広がって新しい趣味、もっと言えば人生を賭けたくなることに出会う可能性というのは充分にあり得る。

だからこそ、プロが厳しいという選手がサッカーと付き合う距離を考える機会というのは人生の可能性を広げるにほぼ等しい。

どんな環境に居ても見つかる奴がプロになる

最後に言いたいのは、ぶっちゃけここかもしれない。

環境を変えれば、チャレンジすれば、という希望は確かにあるし実際の成功例もある。けれども、おおよそにしてプロになるような選手はどこに居ても大体見つかるようなレベルだと思った方が良い。

もちろんうっすい可能性に賭けてチャレンジするのを全く否定はしない。しないが、「金持ちになりたいから宝くじを買う」ぐらい薄い可能性にベットするという自覚だけは大事かな、なんてビターな事を言いたいなとは思う。

可能性は呪いだ

誰にでも奇跡が起こる可能性はある。だからこそ、その呪いにすがってしまう。プレイヤー自身の気持ちが熱いならなおさら。

だからこそ、当初の議論で言えばそこに客観的な意見をしっかり言える指導者は凄いと思うし、それに従って選択するのも振り払って挑戦を続けるのも自由。

一つ言いたいのは、そうやって止めてくれる人はきっと選手を選手としてのみでは無く、人間として大事に考えてくれる人だ。という話でした。




 

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