自主トレで「走り込み」は意味があるのか?

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自主トレの中によく出てくる言葉

 

「走り込み」

 

スポ根漫画でもよく出てくるし、超えなくてはならない壁のように扱われている。

 

しかし本当に、育成年代においてフィジカルトレーニングの量は重要なのか?

そしてなにより

 

チームトレーニング以外の貴重な時間を充てる価値、生産性はあるのか?

 

 

本稿では、筆者の多少異色な経歴、経験を元に選手目線から考えていきたい。

なおチームトレーニングではなく、あくまでも自主トレにおける走り込みに関してである。

ただチームではラントレーニングが足りない、という場合にも触れている。

育成年代の選手が自主的に取り組める内容となっているため、是非参考にしていただきたい。

 

 

 

 

なぜ走り込みは神聖視されているのか

 

まず、私が警鐘を鳴らしたいのはここだ。

 

育成年代は苦しいトレーニングを乗り越えたことが賞賛されやすい、と思っているのは私だけだろうか。

その中でも走り込みは特に美しい、と思われているように感じる。

先述したスポ根漫画でもテーマになりやすいことからも、それは伺える。

 

なぜそうなったのか。

筆者にはいくつか思い当たる点がある。

選手、指導者、第三者それぞれに関わるものだ。

 

①根性が鍛えられると考えている

 

まずは指導者側のお話。

読者の皆様の中に、

 

「レジリエンス」

 

という言葉を知っている方はいるだろうか?

 

日本語で簡単に訳せば、

 

「ストレス耐性」

 

という事になる。

要は、苦しいことを乗り越えればストレスに強くなるだろうという考えだ。

 

昭和時代の指導からこの考えが大多数を占めているが、実際にその効果はあると考えられている。

その点のみで言えば、決して間違いではないのだ。

 

しかし近年では、身体的負荷ではなくストレス耐性に働きかけるトレーニングも確立されつつある。

そもそもストレス耐性の為に、選手として大切な肉体を犠牲にするのは本末転倒ではなかろうか。

そういった知識を学ばない結果、走り込みに頼らざるを得ないというのが正直なところではないか?

 

②見る人が感動しやすい

 

これは第三者、あるいは応援する人たちの目線。

 

例えば、このブログを読んでいただきたい。

私の母校である、八千代高校と提携した整骨院のブログである。

 

ダボス

 

そしてこちらは割と有力なサッカー系メディアの記事。

 

【選手権出場校】尚志高校サッカー部あるある「走りのレベルが高い」

 

どちらも読むだけで目を覆いたくなる記事である。

特に二つ目の記事、この文に注目していただきたい。

 

自分は1年生で走り合宿を初めて経験して、気持ちを出したところ、東北高校新人大会でトップチームに選ばれて、青森山田との決勝で先発メンバーに選出されて優勝することができました。

 

君はサッカーが上手くなるためにその高校を選んだのではないのか!?

 

試合の内容が悪いと走りがあります。1年生の時に中学生と練習試合をして、引き分けたりすると走りがあります。ハンドボールコートの10m切り返しを100本やったことがあります。
7km先の公園まで走りに行ったこともあります。走りのレベルが高いですね

 

なるほど、計画的ではなく突発的なトレーニングばっかりだと。

肉体的にデリケートな年代にやっちゃいけないことなのでは?

7kmを続けて走るような筋肉の使い方もサッカーには役に立たないと思うが・・・

 

 

というように、見る人が見たらおぞましい現実をドヤ顔で高校名を明記して語ってしまうのである。

 

しかしこれが、見る人の心を打つ、という状況だ。

この記事もおそらく、そういった所に投げかけた記事であろう。

 

高校サッカー界屈指の練習量を誇る国見。その驚愕の「夏合宿」

 

これを読み、

「それだけ頑張ったから今があるんだね!」

という思考になる人が多いのではないかと推測している。

 

まあこんな記事など探さずとも、高校サッカーの特集番組などを見れば

「こんだけ彼らは走ってるんです!青春を捧げてるんです!」

というようなエピソードは山のようにある。

 

もちろん人の目を気にしてトレーニングメニューを組むとは思えないが、後押ししている環境があることは知っておくべきだろう。

 

③充実感、達成感がある

 

選手側が最も気を付け無くてはならないのがこの点だ。

 

走り込みは苦しい。そして凄まじい達成感がある。

先ほど出てきた八千代の走り込み合宿、通称「ダボス」でも、筆者は全てのメニューが終わった瞬間に同級生とともに号泣してしまった。

今思えば洗脳されていたんだなあと思うわけだが、この達成感というのがやっかいだ。

 

走り込みは頭を使わず、苦しみにさえ勝てれば出来てしまう。

そして達成感、自己肯定感が大きい。

よって中毒になってしまうことも多いのである。

 

しかし、肉体的な成長は得られず達成感のみ手に入る。

これでは、目的と手段が逆になってしまう。

 

 

得られる効果はあるのか?

 

ここから先は、あえて自分で調べてみても良いだろう。

既にこういった走り込み神話に反論、警告している有識者は大勢いらっしゃる。

 

筆者から伝えるとすれば、

 

「目的をきちんと設定し、そのためのメニューを作ること」

 

が一番である。

毎日10kmのランニングをしたところで、継続的に走り続ける動きはサッカーでは役立てにくい。

せめてサッカーに近い動き、その中で自分が苦手な動作を克服していくことが大切である。

 

つまり、簡潔に言ってしまえば

 

「量を重視した走り込みは、労力と成果が釣り合いにくい」

 

ということになる。

何のためにどう鍛えるのか、目的設定が大切だ。

 

自主トレで取り組むべきか否か?

 

さて、では本題に移ろう。

 

チームトレーニング以外で、ラントレーニングをするべきか否か。

 

筆者は基本的に否定派だ。

 

ただし、これはチームトレーニングでしっかりと負荷がかかっている場合だ。

 

筆者もフィジカルについては専門的に学んでいないため大まかにしか言えないが、サッカーという競技は

「数秒間の高パワー運動の連続」

だと分類できる。

一定のスピードで走り続けるのではなく、短いダッシュが連続する。

この動作が一番再現されるのは、当然ながら実際のサッカーだ。

チームトレーニングを終えたとき、肉体的にきつかった、と感じるような充実したトレーニングであれば自主的に取り組む必要は無いだろう。

それよりもマシンなどを利用したウエイトトレーニングに精を出すべきである。

 

しかし、一つだけ取り組んでも良いかもしれない、と思うものがある。

 

それが「心肺機能トレーニング」である。

 

 

 

 

心肺機能の必要性

 

中高生の年代で、身体的に成長しやすい機能の一つが心肺機能である。

特に中学生の年代、13-15歳あたりが一番この機能が成長すると言われている。

ことサッカーにおいて、この能力は重要だ。

 

サッカーは、高い負荷の運動を繰り返す競技だ。

 

長距離走でスタミナが無い場合は、単純にタイムが遅くなるだけだがサッカーではそうではない。

 

・ジャンプが高く飛べなくなる
・プレスをかけたとき、止まれなくなって交わされる
・キックの精度が落ちる

など、一つ一つのプレーが駄目になっていくという現象が起きる。

足が止まるだけではない、と知っておくべきだと思う。

 

更に言えば、心拍数が上がる、息が苦しい状況では判断力が悪くなるのは経験があるだろう。

試合の最後まで良い判断を出来るかどうか、それも左右されてしまう。

 

そしてこういった激しい運動の繰り返し、その強度を保つのに必要なのが心肺機能なのだ。

要は、心臓や肺の機能を高めて酸素を沢山取り入れることで体の回復が早くなる。

その結果最後まで高いクオリティで戦えるようになるイメージで良いだろう。

 

筆者の体験

 

筆者は中学時代、サッカー部と駅伝部、両方に所属していた。

駅伝部では継続的なインターバルトレーニングをはじめとし、全身持久力と心肺機能を鍛えることが出来た。

部としても県8位になるなど結果を残していた。

 

その結果、運動量やスタミナと言われる能力に関しては、強みとして戦えていた。

八千代高校というエリートが集う状況でも、そこは評価されていたというレベルだ。

その後いろいろなことを調べて、

「中学生の年代に適切なトレーニングをした結果、得られた武器なんだな」

と認識していた。だからこそ、この年代で取り組みならこの分野のトレーニングだろうと考えている。

 

 

しかし、単純に

 

「よし、じゃあ毎日5km走るぞ!!」

 

となってしまってはいけない。

 

何度も言っているが、大切なのは目的、そしてそのための適切な手段→メニューである。

適切な量のランを、適切な負荷、キツさで取り組めればその後のサッカー人生において財産となる。

 

「走り込み」という言葉の害とは

 

ここで私が一番言いたいのは、

 

「ラントレーニングは量が正義ではない」

 

ということだ。

 

走り込み、という言葉から連想されるのはとにかく量を、歯を食いしばってこなす様子。

実際にその言葉を使う高校では、そういったメニューが組まれることがほとんどだ。

しかし必要以上の疲労と時間を費やしても、得られる効果は小さい。

頑張れば頑張った分成果が出る、というものではないのだ。

 

それならばその時間を技術的なトレーニングに使った方が生産的だろう。

 

 

そこだ。

 

私が訴えたいのはそこなのだ。

 

自主トレで走る価値、失うもの

 

自主トレで技術を磨く必要性、重要性についてはこちらで詳しく書いた。

中高生がサッカーの自主トレをするとき、何を考えるべきか

 

ではラントレーニングをしたとき、何を得て何を失うのか。

 

適切なトレーニングの場合

 

ここでは心肺機能のトレーニングを考える。

インターバルトレーニングをした場合、頻度は週に1回程度で十分である。

サッカーのトレーニングもしていることを考えると、2週に1回でも問題ないだろう。

中負荷程度の有酸素運動も取り入れるとして、それも2週に1回だとすれば。

週1で違うメニューで走る。その程度で継続さえ出来れば効果が得られる。

 

その場合、技術的自主トレに必要な時間や体力を奪われる心配は少ない。

得るものは、その後のサッカー人生に影響する全身持久力のベースだ。

失うものがそこまで少なく、得るものは大きいと考えられる。

 

具体的なメニューについては是非自分で調べていただきたい。

 

走り込みを選択した場合

 

問題はこちらだ。

 

とにかく走ろう、沢山走ろうと思ってしまった場合。

 

失うものは、時間と体力だ。

特に毎日走っていた場合、体にかかる負担が高くなる。

この時に出る影響は計り知れない。

 

・疲れている状態で頑張って走るから、ラントレーニングの効果が小さくなる。
・サッカーのトレーニングの質も下がってしまう
・技術的な自主トレが出来る余裕を失う

 

これだけ並べれば、もうお分かりだと思う。

メリットとデメリットが、明らかに釣り合わないのだ。

 

まとめ→効率が大事

 

ラントレーニング自体は必要だ。

きちんと取り組めば、その後10年以上活きる能力を得ることが出来る。

 

しかし、それに払う犠牲も必ず生じる。

 

トレーニングで一番大切なのは、効率・生産性だ。

犠牲は小さく、リターンは大きく。

 

苦しめば報われる、そんなことは決して無い。

成功者の美談に踊らされないでほしい。