思考を止めるな、自主トレは「メニュー」ではなく「目的」にこだわれ。

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サッカーの育成年代、特に小中学生向けの雑誌やウェブサイトを見ると、様々な自主トレのメニューが出てくる。

いい時代になったものだ、と思うと共にメニューが目的になるのではという思いが筆者の頭をよぎった。それは筆者も経験したことがある事態であり、あまり成長にいい影響を与えないと経験上思っている事態でもある。

そこで今回は、「あくまでもメニューは手段であり目的は上達である」という思考を守ることがなぜ重要か、という点を説明していきたいと思う。手段の目的化、というのはスポーツに限らず様々な場面で起こるため、サッカー以外にも参考になるかもしれない。

 

 

 

 

自主トレは楽しいし、気持ちいい

 

今ふと思い立ってみて「努力 快感」と検索した。出てきたのは「努力を快感と結びつければ成功する!」という趣旨のページばかりだった。筆者の脳内とはどこか違うようだ。

筆者は努力が苦では無い、と自分で思っていた。いくつかの記事にも書いているように、自主トレの量だけならば八千代でもトップクラスだったと思う。それも苦しいけど耐え抜いた、というような感覚は持っていなかった。

むしろ自主トレは楽しいし、頑張ってる自分が好きだったのだと思う。頑張ってるなあ俺!という感情。みんなが帰るのを見送りながら必死に努力する俺。ああ青春じゃ無いか、脳内はそんな感じだ。

もはや中毒の一種と言って良いだろう。実際、自主トレせずに休んだり遊ぶことに罪悪感を持っていた時期も短くなかった。休んでる暇なんて自分には無いだろ、という自分への要求と自主トレの中毒的な快感が噛み合ったのだ。

そんな筆者がなぜ成功しなかったのか、今なら分かる。自主トレが楽しいし快感だったからだと思う。

 

快感は思考を停止させる

 

頭を使うことは疲れる。思考停止した作業は身体こそ疲労するものの頭やストレスという面でいえば、それほど負荷がかかるわけでは無い。

単純作業が癒やしという人が一定数居るように、思考停止して作業に没頭するのは快感をもたらす。ましてや訓練されたアスリートだ。身体的な負荷がそれほど気にならないため、余計に没頭できる。その単純作業の快感に、頑張っている自分という優越感をトッピングしたら見事に中毒者のできあがりだ。

思考を停止して自主トレをしてしまうから快感になってしまう。快感を覚えてしまったから思考停止したまま自主トレに打ち込んでしまう。そして抜けられないループに突入してしまう。今思い返せばそのループの中でハムスターのごとくその場で走り続けていたのが筆者の現役時代だったのだと思う。本人は一生懸命走っているつもりでも一歩も前進はしていない。そんな状態だったと気付けていたらもう少し成長できていたのだろうか。

 

なんのために自主トレをしていますか

 

さて、今取り組んでいる自主トレがある人は思い出しながら読んで欲しい。

最近取り組んでいる自主トレ、なんのためにやってますか?どれだけ具体的に答えられますか?

もしかしたら多くの人は、数あるメニュー案の中から選んで自主トレしているかもしれない。あるいはかつての筆者のようにとりあえず自主トレしなきゃ、と目的化してしまいメニューは二の次になっているかもしれない。

※参考記事

あなたは「正しい努力」が出来ていますか?~がむしゃらは善か悪か~

 

筆者の考える、正しい自主トレの思考の順番というのをここで提示してみたい。

 

自主トレの組み立て方

 

先に流れを提示すれば

 

①課題を抽出、分析する

②トレーニングで改善できる要素に分解する

③要素を克服、習得出来るメニューを探す、作る

 

という流れになる。これが自主トレをやることが快感や目的になると

①目的が曖昧なままなんとなく始める

②計画がないため改善できているか観察できない

③質の低い練習により疲労がたまる

という流れが出来てしまう。質の低いトレーニングで疲労するぐらいなら休んでチームトレーニングでのパフォーマンスに集中したほうがマシなほどだと今は考えている。「やらないよりはまし」という言葉、響きは甘美だがまともに受け取らないほうがいいだろう。

 

「メニュー」ではなく「目的」にこだわれ

 

ここでこの記事のタイトルの回収となる。

筆者や周囲の友人がそうだったように、自主トレとなるとメニューへの探求心が高い人が少なくないだろう。真面目で努力家の人はこうなる可能性が低くない。

「雑誌にこんな練習法載ってたぜ」
「風間さんがこんなのやってたって」(実話です)

というきっかけで自主トレを組み立てる人も少なくないと思う。この順序を全否定するつもりはない。優れたメニューというのはあるだろうし、メニュー主導で自主トレの質を上げることも不可能ではないとは思う。

だが、それでも筆者は自分の課題をまず抽出してからメニューを探したり、あるいは自作することをお勧めする。というより、課題が明確に抽出できていればメニューはそれほど大事ではない、とすら思っている。

 

メニューよりも課題の抽出が大切

 

そもそもメニューとは、あくまで手法の一つだ。やり方でしかない。意識をするポイント、目的意識次第で効果は圧倒的に差が出てしまうと思う。

例えば単純なパス&コントロールの練習でも、何も考えずに没頭するのか、トラップからパスまでを早くするのか、ボールから目を離す練習に当てるのか、人によって意識するポイントが変われば上達する要素もスピードもすべて変わってくる。

つまり自分の課題を克服するには意識が先に来るべきであり、それを実現するためにメニューを考え選ぶわけだ。この順序を間違うと痛い目を見ることになる。

 

 

思考停止の危険性

 

筆者はがむしゃらに自主トレをし続けた。言い方を変えれば思考停止でボールを蹴り続けた。ボールを扱う技術自体は多少上達したと思うが、プレーには生きていなかった。

ここからは思考停止することの危険性を説いていきたい。

 

失敗しない自主トレは現状維持だ

 

筆者の自主トレのメニューはたいてい決まっていた。ロングパス、ショートパスだ。とにかく基礎技術を磨かなくては、という気持ちだった。

だが今思うと技術を磨くにはあまり効果がない練習をしていたと思う。

理由は、「失敗する回数が少なかった」からだ。面倒だが正確を期して表現するならば

「失敗と感じる回数が少なかった」である。

なぜこんな面倒な表現をするのか。それは失敗には二種類あることに気付いたからである。

 

一つ目は分かりやすくミスをすること。キックがずれるとか、トラップが大きくなるとか、そんなイメージをしてもらえばいい。

もう一つの失敗は「自分の理想とするイメージと違う」という捉え方だ。

友達とロングパスを蹴りあっている。こちらのキックはしっかりノーバウンドで味方にふんわりと届いた。傍から見たら見事なキックだ。だが本人がライナー性のロングパスを練習していたとしたら、これは本人にとっては失敗となる。

この二つ目の失敗に気付くには、大前提として理想のイメージをしっかり持つことが必要だ。

視野を広げたいのであれば首を振る、という行為ではなく首を振って何を見れたか。キックなら弾道やボールスピード。トラップはまさしくイメージ通りの場所に転がせているか、止められているか。

ただただ行為を思考停止で繰り返していては明確な失敗しか起こらない。そしてよほど工夫されたメニューでない限り、失敗が相次ぐということはないだろう。

なんとなく行為を繰り返す、これは現状維持にしかならず成長を望むのは難しい。

だがしっかりと前項で述べた「課題の抽出」が出来ていて、理想のイメージや目的意識が自分の頭の中にあれば、無数に小さな失敗が起こるはずだ。それら一つ一つと向き合うことで、

・自分の感じる課題の克服
・現状維持にとどまらない上達
・自身のレベルの底上げ

という目的を達成できるようになると思う。

 

自分に負荷をかけ続ける

 

筋トレは、少しずつ扱う重量を増やしていくことで筋肉が育っていく。同じ重量ではどこかで成長が止まってしまう。

技術も同じ捉え方をすればいい。昨日より少しでも理想のラインを上げたり、高い精度を求めたり、ボールを見る時間を減らしたり。

そのためにはしっかりと目的意識をまず持つこと、そのために課題の抽出と分解を行うことが必須ではないだろうか。

 

こんなだらだらと書いてきたが伝えたいことはタイトルに込めた。

・思考停止するな。考え続けて負荷をかけよ。
・自主トレはメニューより目的にこだわれ。

この二点を意識して自主トレに是非取り組んでみてほしいと思う。もしタイムマシンに乗れるなら筆者はこの二点を中学から徹底してやり直したい、だがそれは叶わぬ願いだ。だからこのサイトにたどり着いてくれた方に、そんな思いをしないためにも試してみてほしいと願っている。




 

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@山田有宇太

 

 

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