中学生、高校生に向けてサッカーノートの書き方を説明する
育成年代の選手の中には、耳にたこができるまでいわれた人も居るかもしれない。
「サッカーノートを書け」
しかし、具体的な書き方を教えてもらった人はどれだけ居るだろうか?
筆者は小学校から引退まで一貫してサッカーノートを書いていたが、試行錯誤をしながら書き方について考え続けてきた。
その努力の一つの成果として、周囲に評価して頂けるような言語化という作業が出来るようになったと考えている。
そこで本稿では、筆者の体験や周囲の選手のノートなどから得た知見を元に、どうサッカーノートを書くべきか考えていきたい。
またその必要性や書く頻度など、様々な話題にも触れていこうと思う。
それらを元に選手の皆様が、自分に合ったノートの書き方を見つけることが出来ることを願っている。
特に、頭を使ってサッカーするようになりやすい中学生の皆様は特に必見だ。
何のために書くのか
このブログでは散々言っていることだが、手段が目的化したら成長は格段に遅くなってしまう。
ノートで言えば、サッカーノートが提出義務となっているチームの場合
「何か書かないと、何を書こうかな」
というのがまさしくその状態だ。
それでは意味が無いし、時間を無駄にしてしまう。
まずはノートを書く目的をはっきりさせよう。
①出来なかったことを明確にする
トレーニングで出来なかったこと。
それは最も分かりやすい課題だ。
何が出来なかったかを書き留めておこう。
「咄嗟のサイドチェンジの精度が低い」
「足の速い選手に対応できない」
「怒られて心が折れた」
なんでもいい。メンタルでもフィジカルでも技術でも。
まずは出来なかったことを自分が把握することが大切だ。
②改善するための手段を考える
出てきた課題をどう修正するかを見つけよう。
先程の
「咄嗟のサイドチェンジの精度が低い」
というものを例にとって考えてみよう。
咄嗟のサイドチェンジというのをもう少し細かく分解していくと
・判断してから蹴るまでの時間が短い
・助走が十分に取れない
・瞬時に思いついた判断
という要素が出てくる。
これらを解決しようと思ったら
・判断してから蹴るまでの時間が短い
→ボールの置き所が良ければいつでも蹴れる?
・助走が十分に取れない
→助走の短いキックを練習する。
インパクトだけで飛距離を出せるようになる
・瞬時に思いついた判断
→もっと早い時点で選択肢と考えることが出来れば咄嗟では無く用意したプレーになる。
きちんと用意が出来るから精度も上がる。
というような解決方法が考えられる。
もちろんこれは一例であるし、一つの要素に対して複数の解決方法が見つかることも沢山ある。
ここで大切なのは
「要素を分解すること」
「それを元に解決方法を考えること」
この二点だ。
もちろん技術に関しては一朝一夕に上達解決するような物ではない。
しかし、自分が何を出来て何が苦手なのかを把握しなくては、改善する道筋が見えない。
まずは自己分析が必要なのだ。
③以前に出た課題の状況を書く
これにしばらく取り組んでいると、過去にノートに書いた課題が克服できたりする。
その進捗状況も書いておこう。
今何が出来るようになりつつあるのか。
それを日々繰り返しながら課題を少しずつ克服していくことが成長に繋がる。
④何に取り組むかを絞る
ここまで取り組んだら、複数の課題が出てくるのが当然だと思う。
しかし当たり前だが、一度に複数の課題を解決していくのはそう簡単ではない。
筆者としては、取り組む課題を絞ることを薦める。
チームで行うトレーニングの際は判断や相手に関係した課題。
先の例をまた引用すれば、
「ボールの置き所を意識しながらプレーする」
「咄嗟にならないようサイドチェンジの選択肢を常に頭に入れる」
そして自主トレで技術的な要素。
「助走の短いキック」
というように取り組むことだ。
また余談ではあるが、抽出する課題は頻度の高いプレーの方がいいだろう。
サイドチェンジと前を向くトラップであれば絶対的に後者だ。
理由は単純で、
「頻度の高いプレーは基礎」
と捉えることが出来るからだ。
アウトフロントのカーブをかけたキックより、インサイドのパスを練習した方が役に立つ回数は圧倒的に多いだろう。
そして基礎というのは、「有ると武器」ではなく「無いと話にならない」ものとして評価される。
何度も行うから、出来なくてはいけないのだ。
サイドチェンジが出来なくても何とかなるかもしれないが、前を向くターンが出来なければそれは評価すらしてもらえない。
その点も考えながら、どの課題に取り組むか選んでいこう。
ノートの価値は課題の克服だけではない
と、ここまでは課題に対しての向き合い方にノートを利用する方法を書いてきた。
ここまではやったことがある人も居るだろう。
だがこれだけでは十分とは言えない、と筆者は考えてる。
理由は、サッカーの仕組みへの理解が深まらないからだ。
技術、フィジカル、メンタル。
これらの課題をクリアしていくことはもちろん大切だが、いくらキックが上手くても状況に適した判断で無ければいけない。
判断力の向上に、サッカーノートは活用することが出来る。
その具体的な方法を見ていこう。
サッカーノートで判断力を向上させる
ここで、現役時代のノートを再現した筆者の図をご覧いただきたい。
これはあくまでも筆者独自の書き方だ。
参考にする程度で良いと思う。
この図を書いた詳細な記憶は今でも覚えている。
「ボールをスペースに出せ。足下だと潰される。」
という指導を受けたときだ。
図の見方として、
白丸→自チーム
黒丸→相手チーム
腕→体の向き
直線→パス、ボールの動き
点線→人の動き
という書き方をしている。
この図を言葉で表すならば、
「縦パスを少しずらした横に出すことで、DFが奪えない縦パスになり3人目の動きが引き出せる」
という状況を表した図となる。
さて、文章と図、どちらが鮮明にイメージできるだろうか。
間違いなく図であると思う。
そしてこの作業が、判断力とサッカーの仕組みの理解へと繋がるのだ。
なぜ図なのか
ただ単にイメージしやすいから図、というだけではない。
この書き方をするときに必要なのは、思い出すという作業だ。
特に判断ミスした場面を思い出すとなお効果がある。
この図を書くとき、選手の配置がどれだけ把握しているか試される。
図が満足に書けない場合、そもそも見えていた情報が少なすぎるということになる。
そして思い出しながら一連のプレーを描き、正解の選択肢を書き残すことで
「失敗の追体験、成功のイメージトレーニング」
をすることが出来る。
この視野で、この選手が見えていて、この判断をすれば良い。
という成功体験は、体に染みつけば染みつくだけ判断が早くなっていく。
かつてのバルセロナの司令塔であったチャビはプレーする際、考える脳では無く思い出す脳を使っているということが、既に研究により判明している。
(参考・・・http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=291390)
つまり、膨大な数のプレー経験から最適な選択を反射的に出来るようになっているのだ。
日本人が一桁の掛け算はいちいち考えなくても九九を思い出すだけで出来るのと要領は同じである。
判断を早くするために、この追体験やイメージトレーニングはもってこいということになる。
そしてもう一つ。
選択肢というのは、知らなければ候補にも挙がらない。
今の例でいえば、
「足下からずらした場所へのパス」
という方法があることを知らなければ、アイディアとして浮かんでくるはずもない。
自分の中に無かった選択肢を自分の物にするために、図で仕組みを理解することは手助けとなる。
これを例えばビルドアップのトレーニングの度に繰り返していけば、よりスムーズに習得できるとは思わないだろうか?
ビルドアップは能力に依存しない、判断力と仕組みに支えられたプレーだ。
一つ一つのボールの動き。
それに対応する守備陣の移動。
結果的に空くスペース。
整頓、分解すればなぜボールが前進するのか理解できてくるだろう。
やりがちな失敗
ここからは自分、周囲の選手、プロ含めて大いに起こりうるノートの失敗パターンを挙げていきたい。
意気込み、漠然としたものを書く
決して間違いだとは思わないが、効果に疑問があるのがここだ。
もっと具体的に言ってしまえば
「一つ一つに集中して取り組む」
「今日の試合は流れが悪かった」
というような内容だ。
正直、何をどう改善するのか見えてこない。
夕方のニュースでプロ選手が付けているサッカーノート!と取り沙汰されて見せられたページがこの内容だったとき、筆者はなぜかやるせない気持ちになったのを覚えている。
流れが悪い→なぜそうなったか、自分に出来る具体的な対策は何か。
ここまで掘り下げないと、ただの感想文となってしまう。
また、こういった内面的な内容はノートを書くことを日課とした場合、3日に1回ぐらいのペースで書いてしまうだろう。
これは同級生の実際の例だ。
「決定的なチャンスを外した。もっと丁寧にシュートを打つ。」
と何度も書いているFWの同級生が居たが、一向に改善しなかった。
もう一人のFWの同級生は、
「ゴール前の横ドリブル→股抜きシュートを覚える」
と書いた上で、筆者と延々と1vs1からずらしてシュートの駆け引きの練習をしていた。
彼はゴール前の駆け引きに関しては全国クラスまで成長していた。
意気込みだけで解決するならば苦労しない。
具体的な対策を見つけるために、要素を分解する必要があるのだ。
頻度を気にする
提出が義務となっていた筆者の出身高校では、他の部員のノートを見る機会があった。
誰もが提出に合わせて必死に書いた物ばかり。
実際に身になるようなノートはほとんど無かったし、それは筆者も同様だった。
いつ何時、どんな気付きがあるか分からない。
試合をした日だって以前に出た課題がまた出てくるだけの日もあるだろう。
ぼーっとJリーグを眺めていたら参考になるプレーが見つかって書き留めるべき時もあるだろう。
頻度はそこまで気にする必要が無い。
自分に必要な情報を、必要なだけ書くことが後に大切になってくる。
読み返しても意味が分からない
これは上記の例とも共存することが多いが、
・感想文みたいな書き方で
・自分の感情や抽象的な言葉が多く
・具体的な分析、整理整頓が出来なかった
こういった日のノートは、後日読み返しても意味が分からないことが多い。
本稿の前半で、課題を明確にすることを説いた。
明確にした課題は、当然解決していかなくてはいけない。
今自分が何をすべきか。
今日の練習ではどんな意識を持って取り組もうか。
自分の立ち位置を見返すためにはノートを読み返すことが一番である。
読み返したときに数分で課題を再認識できるようであれば、それは優れたノートだ。
指導者から与えられたメニューという課題に、自分が抱える弱点を合わせて意識しながら取り組めば成長スピードは加速する。
前日までのノートで
「縦パスの意識が足りていない、パスコースを見逃す」
という課題が可視化されていれば。
その日のメニューがどんなものであろうとその課題の解決に役立てることが出来る。
ゲーム形式ならばもちろん縦パスを常に狙う意識でプレーすれば良い。
ドリル形式のトレーニングでも、ただドリルをこなすのでは無く縦パスを逃さないようなボールの置き方や首の振り方、体の向きなど考えて取り組めるだろう。
失敗そのものは決して無駄ではないが、全く同じ失敗を繰り返すのは無駄だ。
常に何かを得るための工夫の一つと考えて欲しい。
自分に必要な情報を、必要なだけ書くことが大切だと書いたのは、読み返すときも含めてなのだ。
与えられるメニューはあくまでも与えられる物に過ぎない。
その中で自分が何を獲得するか、+αを得られるかはこういった心がけで大きく変わる。
まとめ
・トレーニングで得た課題や失敗を挙げる
・課題や失敗を分析し、原因を見つける
・原因を改善する具体的な手段を考える
・判断ミスやアイディアは図に落とし込む
・トレーニングの前に見返して、トレーニングに役立てる
これが筆者流のサッカーノートの書き方だ。
実際、筆者は柏レイソルのホームスタジアムである日立台に、ノートを抱えて何度も通った。
八千代高校からの帰り道の1時間半の電車でも書いた。
専門に進んでからは、膨大な数の試合を見ながら書いた。
社会人リーグ時代は、胃を痛めながら課題と向き合った。
言葉にする、図にするということはとても大切だ。
なぜその事象が起きるのか理解していなくては、落とし込むことが出来ない。
自分の課題、そして判断力の向上。
サッカー選手として成長するために、是非取り組んでみてはいかがだろうか。
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