ドリブル塾は是か否か、選手目線での結論を出します。
先日、こんなツイートをした。
よし、わかった。ドリブル塾論に俺なりの結論書こうじゃないか。手持ちのカードは
「高校時代の同級生、ドリブル塾系出身10人近くの末路を見てきた」
「選手側、指導を受ける側の視点」
「才能のない選手としての、敗者の意見」どうですか、読んでみたくないですか?
— 山田有宇太 (@Grappler_yamayu) April 9, 2020
このツイート、意外と反響があった。
サッカー関係のツイッターが一時期、「ドリブル塾系の指導」というテーマの元、議論というかそれぞれの意見表明が活発になっていたのである。
しかしそれは、私が高校時代から引退まで考え続けていたテーマの一つであり、基本的に自分の中で結論が出ている。
今回はそれをご説明したいと思う。
ドリブル塾系指導を定義する
まず必要なのは、定義だ。この言葉がどんな指導を指すのか、それを決めなくてはいけない。
おそらく一番議題にされているのは、ドリブルデザイナーの岡部様であろう。
http://dribbledesigner.com/
(公式サイト)
彼は「99%抜けるドリブル」というキャッチフレーズのもと、DFとの1vs1におけるドリブルの指導に特化している。そしてこの指導に対し、賛否両論が飛び交う事態となったのだ。
誰もが憧れるドリブラーになるための特化指導。それに対しての反対意見はおおよそ以下のような物となる。
・この状況が試合ではあり得ない
・選択肢から判断する要素が抜け落ちている
・曲芸師を目指すわけでは無いだろう
かなり大雑把にまとめたが、このような意見が多かった。そしてこの意見は、静岡学園や野洲高校に代表されるようなドリブル練習のイメージが強い他のチームにも向けられる意見である。
そこで本稿では、ドリブル塾系指導の定義として
「ドリブルという要素を切り取り指導する形態、またその練習量が多いチーム」
というものを設定する。
具体的な例としては
・ドリブルデザイナー
・静岡学園
・野洲高校
・聖和学園
・ヴィヴァイオ船橋
などが挙げられるだろう。
少し知名度が劣るヴィヴァイオ船橋に関してはこちらの動画をご覧いただきたい。
ドリブルに特化しているのがお分かり頂けたと思う。
結論から先に言うならば
筆者の結論からまずは言ってしまう。
「指導法としてはおかしくない、むしろ得るものは大きいが目的・手段を明確に子供に落とし込む必要がある。それが出来ていないチームでは全く成長することが出来ない」
というのが筆者のサッカー人生の中で出した結論だ。
では目的・手段とは何なのか。成長するためには何が必要なのか。筆者はなぜこの指導法を否定しないのか。
少しずつ解き明かしていこう。
八千代高校で見たドリブラーの行く末
筆者の出身高校は、千葉県立八千代高校だ。
千葉県内には、
・ヴィヴァイオ船橋
・クラッキス松戸
というドリブルの指導で有名なジュニアユースのチームが二つある。そしてその両チームから、八千代高校へと進学する選手は多い。
つまり八千代では、過酷なドリブラー同士の争いが毎年起きている。その中で、上に上がる選手、伸び悩む選手をそれぞれ筆者は目の前で見てきた。
また、筆者自身は足下の技術が欠けていたこともあり、それぞれのチームの出身者にアドバイスを乞うたことも多い。そのアドバイスを通し、各選手の思考やスタイルを自然と把握するようになった。
その経験が今回の記事の根底に大きくある。
どんなトレーニングを重ね、どういう目的意識で取り組み、それがどうプレーに反映されたか。それを分析した結果だ。
なぜ切り取ることが悪なのか
反対意見の多くは、判断を伴わないことが理由だと先述した。ではなぜ判断を伴わないことが悪なのか。筆者の意見を述べたい。
トレーニングには二つの効果がある
トレーニングといえば、「出来ないことを出来るようにする」ものである。これは正しい。
しかし、筆者にはもう一つ重大なトレーニングの効果があると考えている。
それは、「意識すれば出来ることを習慣化、無意識で出来るまで落とし込む」という効果だ。
具体的な例を挙げよう。
ここにルックアップが出来るようになった選手が居る。しかし、まだまだルックアップしなきゃと考えながら行っているため練度は低い。時々出来ていないこともあり、まだまだ発展途上だ。
こういった選手にとっては、出来ないことを出来るようにするとよりも言われず考えずとも自然に首を振るようになる、というのが新たなゴール地点となっている。
習慣化し、練度を磨くこともトレーニングの効果の一つなのだ。
これが全て良い方向へ働くのであれば、何も問題は無い。しかしある技術一つを切り取ると、選手の成長に悪影響を及ぼす可能性がある。
習慣化という危険性
習慣化とは、トレーニングによって出来ることだ。しかし、言い方を変えればこれは「クセ」とほぼ同義だ。
パスが来たら受ける直前に首を振る「クセ」。ゴール付近ではまずシュートコースを探す「クセ」。
このように、意識して取り組んだプレーは回数を重ねる毎に身体に染みついて行く。それが例え悪いクセだとしても、だ。
ドリブル偏重の指導による悪いクセというのは容易に想像がつく。
ドリブルを無意識に選択してしまう
ドリブルでDFをかわすトレーニングばかりを積み重ねると、技術のみならず判断までもがドリブル中心に寄ってしまうことが多々ある。
フリーな味方にパスするだけで打開できる局面を無理矢理個人技で突破しにかかるというシーンは、今なおプロリーグでも見かける光景だが、これはその典型的例だ。
特に思考が習慣化されやすいとされる思春期、育成年代の選手にとってこれは死活問題となる。
普段からドリブルばかりを選択するようなトレーニングを重ねると、当然ながら判断の基準は狂う危険性がある。ドリブルという要素を切り取り限定されたシチュエーションでトレーニングすることのリスクはまさしくそれだ。
他の選択肢が用意されず、ドリブルで抜く以外の正解がないようなトレーニングを行った場合、選手の脳内は「いかに目の前のDFを抜くか」で全て満たされる。ドリブルの技能や突破力は向上するが判断力は伸びない。
伸びないだけならば良いが、ドリブルを真っ先に選択してしまうクセが着いたとしたら、それはむしろ退化といっても過言では無い。
トレーニングはすればするだけ良くなる、というのは幻想だ。選手の実力の妨げになる可能性を勘案しなくてはならない。
筆者が試合を観戦していて、「ドリブルは上手いけどサッカーが下手」という感想を抱く選手はこういった特徴が有る。
それは、とてももったいないことだと思うのだ。
筆者の選手としての悩み
筆者は、中学2年生までGKだった。その後フィールドプレイヤーに転向するのだが、技術が長らく課題としてつきまとった。
もちろんトラップやキックといった基礎的な部分は身につけることが出来たが、どうしても克服できなかった課題がある。
それが、プレスへの耐性だった。
ボールを奪いにDFが来ると顔が下がってしまう、軽いパニック状態になってしまう。DFと駆け引きが出来ず、正しい選択肢を見つけられない。
これは中盤の選手として致命的な欠点であり、どれだけ必死に取り組んでも治らなかった。
この点を容易にクリアしていたのが、ドリブル塾系出身の選手たちだった。だからこそ筆者は、安易な否定が出来ないのだ。
もっと足下の技術があれば、選手として長く活動できていたかもしれない。
これは今でも頭をよぎるもしもの話だ。
そして見習うべきと考え、彼らにアドバイスやトレーニング方法を聞いた。複数人、出身チームもポジションも違う選手にそれぞれ聞いた結果、選手の将来性を広げるドリブル系のトレーニングの指針が見えた。
ドリブル指導のポイントを整理する
ここからは、その経験を踏まえどのような指導が選手にとって効果があるのかをポイント毎に羅列していく。
選手目線で、
「これを教わりたかった」
「こんな技術が欲しかった」
というポイントが記載されている資料は中々見かけない。もしかしたら、貴重なサンプルになるかもしれない。
筆者の欠点を曝け出す辛い作業ではあるが、順に見ていきたい。
①目的、手段の区分を明確にする
ドリブルのトレーニングにおいて多いのは、ドリル形式のトレーニングだ。先程映像を出したようなコーンドリブルの徹底は静岡学園も取り組んでいる。
また、静岡学園の名物と言えばリフティングだろう。
このように、体の様々な部位を使ったリフティングを全員が簡単にこなしている光景は圧巻だった。
また、野洲高校ではドリブルドリルが有名である。
このようにパターン化された動きを繰り返す様子は、当時人気の絶頂だったこともありテレビなどで見かけた方も多いかもしれない。
これらのようなドリブルドリルは、ひたすら取り組むことが出来る。これは真面目な選手ほど量を重ねることが出来るだろう。
しかし、大事なのは
「何のためにこのドリルを行うのか」
「選手として成長するために何が必要か」
という目的、そして適切な手段としてのトレーニングだ。
ここを明確に理解しなくては、ドリブルが上手くなってもサッカーが上手くなることは無い。それを如実に感じたのが、筆者の2試合の経験だ。
筆者は、野洲高校のトップチーム、そして静岡学園のCチームとそれぞれ試合をしたことがある。
スタイル的にはどちらもドリブルを売りとした学校だ。
野洲のトップと試合をしたときは、まさしく地獄だった。
奪いに行けばかわされる。
待つだけでは前へ運ばれる。
ドリブルを止めようとすればパスで打開される。
まさしくドリブルを武器として見せながら、最適な選択肢を判断して攻めてくるチームだった。守備に回り続け走らされ、前半だけで足がつったのを今でも覚えている。
それに対し、静岡学園のCチーム。
ドリブルを仕掛けるべきで無い状況で仕掛けてくる。数的不利でも構わずドリブルを選択するため、容易に奪うことが出来る。いくらドリブル特化指導といえど、複数人で囲まれた状況を打破するのは難しい。
そしてビルドアップのようなリスクを避けるべき場面でも、まずドリブルから判断がスタートすることが多く、こちらとしては奪えばシュートチャンス、という場面が多かった。
これは要するに、「手段の目的化」が起きていたのだと思う。
ドリブルは目的では無く手段だ。DFをかわした結果、何が出来るのか。どんな目的があってドリブルを選択するのか。
プレーのイメージ、選択肢が頭に入っているかどうかであり、学校毎の差と言うよりは選手の質による差だと思う。
条件反射的に、あるいは強迫概念的にドリブルを選択してしまう選手は一度考え直さなくてはならない。
また、一度だけ極端なチームに出会った。中学生のクラブチームで、11vs11の練習試合にもかかわらず「パス禁止」という縛りを付けてプレーしていた。
子供たちは全く楽しそうじゃないし、対戦チームにもメリットが無い。判断力も伸びないばかりか、実戦と遠く離れたプレーに終始する。
チームトレーニングとしてそれを行うのは否定しない。数的不利でも奪われない技術は貴重だ。しかし11vs11で行う必要があったのだろうか。
これは指導者の頭の中で手段の目的化が起きた例だと筆者は考えている。
②ボールを奪われないことは必須能力
とはいえ、ドリブルできることの利点も大いにあると筆者は考える。
それが、奪われない力だ。
どのポジションにおいても、ボールを失うことは選手として避けなくてはならない事態だ。だがプレッシャーを受けたり数的不利に追い込まれることは絶対に起こりうる。
その状況になったときに、打開する力やキープする力は最早必須能力となっている。そのためにドリブルの技術を磨き、咄嗟にプレッシャーを回避する能力が身につけば、間違いなく選手の役に立つだろう。
ダビドシルバなどはこの能力が極めて高いため、狭いスペースでボールを受けても失わずにプレーをすることが出来る。
また、少し古い選手だがテベスもまたそういったドリブルに長けた選手であり、チームのチャンスメイクに大きく貢献していた。
近年、攻撃陣に与えられるスペースは明らかに狭くなっている。
僅かなDFとの距離しか確保できない状況で役割をこなすためには、この回避するドリブルは必修となりつつある。
先程述べたような目的として、「回避するドリブルを身につける」という意識を持った上でドリルトレーニングに取り組むことが出来れば、基礎能力としてアドバンテージを得ることが出来るだろう。
③視点の置き場所を覚える
ドリル形式、特にコーンドリブルで起こる現象として
「ボールを見過ぎてしまう」
というものがあると筆者は考える。
これらのドリルは、ボールを思い通りに動かすことがゴールとなりやすい。そうなると周辺の情報は確保する必要が無く、コーンとボールの位置関係が必要な情報の全てであり完結してしまう。
これは当然ながら実戦ではほぼ有り得ない視野の取り方だ。もしその視野がクセになってしまったら、試合でも周りを見れない視野の狭い選手が完成してしまう。
筆者が最も参考にした、高校時代の友人のアドバイスがある。
「極論はボールを見ないでドリブルドリルが出来ること。それが出来れば判断ミスが無くなるしボールも奪われなくなる。ドリブラーになるためじゃなくてアタッカーとしてこの能力はあると便利だ。」
全くもってその通りだ。このアドバイスをくれた友人は学年トップのドリブラーだったが、判断ミスがほぼ無くパサーとしても優秀な選手だった。
「ドリブルドリルを行うときは、なるべくボールが視野の端。他に自主練してる選手や歩いてる他人を見ながら行うようにすれば、試合のピッチの広さにも対応できる」
と事細かく教えてくれた。
筆者は残念ながら習得できなかったが、これを知っているのと知らないのとでは圧倒的に差がついてしまうだろう。
サッカーは情報を集め最適な判断を下す、その繰り返しだ。それを大前提におき、習得するためのトレーニングとして行うのは良い効果をもたらすと考えられる。
④奪われない自信は武器になる
攻撃にはリスクがつきものだ。狭いスペースで前を向く、というのが代表的だろう。
前を向くことが出来ればゴールは近づく。アタッカーにとって前を向くことは義務であり、チャレンジするべき動作だ。
同時にリスクもあるため、失敗してボールを失うことも多いだろう。
そんなときに、奪われない技術を身につけていれば最悪の結果は免れることが出来る。更に前を向き、奪いに来たDFを交わせればよりチャンスは大きくなる。
チャレンジに必要なのは、自信だ。
何度もボールを奪われ続ける選手と、失わずにキープできる選手。
どちらが強気にチャレンジする姿勢を保てるか。答えは明白だ。
筆者は何度か、課題を克服できなかったと書いた。今になって思うことだが。
克服できなかった原因は、ボールを失って怒られるときの恐怖感と成功体験が全く釣り合っていなかったことだと思う。
あまり指導者のせいにはしたくないのだが、チャレンジしたこと自体を褒めてくれる指導者に出会えたのはかなり遅い時期だった。それまでは失えば怒られる、リスクを回避すれば怒られることは無い、という環境でプレーをしてきた。
そうするとどうなるか。
前を向く、プレッシャーを受ける経験をほぼせずパスで逃げるだけのプレーが続く。より足下の自信のなさ、恐怖感は大きくなるが克服する機会はない。
完全に成長できない負のサイクルへとはまっていた。
チャレンジする姿勢を褒め、的確に指導してくれるコーチに出会えれば良いが全員がそうとは限らない。また、ボールを失うことで自分を責める選手も沢山居るだろう。なにより、ドリブルの技術が無い、つまり勝算の無い中でチャレンジをするのは無謀だ。
成功体験と失敗体験の割合が大きく失敗に寄ってしまう。
そういった意味で、ある程度の技術を身につけておくことはベースとなる。奪われないドリブルは長所では無い、良い選手に必要な条件なのだ。
奪われない自信を持つことで、初めてDFと正面から対峙できる。そして攻撃側が最も有利な体勢、それが正面の対峙だ。
あらゆる選択肢を確保するために、メンタルが必要だ。その観点からも、筆者は技術を習得するのは必須だと思う。
まとめる
滅茶苦茶長くなってしまった。まとめよう。
・ドリブル単体で切り取ることで、判断ミスをしやすくなるリスクがある
・ドリルトレーニングは手段だが、目的化しやすい。
・目的意識を明確に持てば、ドリルは良いトレーニングとなる
・具体的には視野の確保や咄嗟に出せる技術の習得
・奪われないドリブルの技術は現代では必須
・「ボールを奪われない自信」は、有ると伸びやすい
・筆者は、取り組まなかったことを後悔している
ということになる。またここには書いていないが、ドリブルを切り取ることのメリットもある。試行回数を圧倒的に増やせるという物だ。
当然の結論のため詳しく書いてはいないが、興味のある方はこちらをご一読頂ければ幸いだ。
これを読んでいる選手が居たら、是非取り組んで欲しい。取り組む前に、身につけるべき物を明確にしよう。習得したい技術、勘案すべきリスクを頭に入れて取り組めば、培った技術は財産になる。
そしてこれを読んで頂けた指導者の方がいたら、是非ご一考いただきたい。
技術が無くて困る選手は沢山居るが、習得の手段と目的をよく考えないと大きなリスクが伴う。技術は道具であり、判断を実行するための手段だ。それをどれだけチームに落とし込んでいるだろうか?逆に、技術に関して教えていないのに「何で失うんだ!」と怒鳴ってはいないだろうか?
トレーニングとは簡単に是非が決まる物ではない。メニューだけで質が変わる物でも無い。
何を求めてそれに取り組むのか。どんな意識で取り組むのか。どんな声かけをするのか。
このドリブルへの考察が、皆様のサッカー人生の助けになることを切に願う。
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