「条件反射」でプレーするな。「根拠と理屈」でプレーしろ。
筆者にはトレーニングにまつわる大きな後悔がある。
それがタイトルにもある、「条件反射でプレーをしてしまったこと」である。これだけブログで理屈について考えているのに、それを現役時代はプレーに活かせなかったのだ。
そこで今回はこの筆者の後悔を深掘りすることで、誰かの参考になればと思い書くことにした。正直思い出すのも辛いような後悔だが、だからこそ誰かに俺の屍を超えていって欲しい。
条件反射と意識的なプレーの差
筆者はプレーの大半を条件反射でしてしまっていた。これが何を意味するかを考えるには、まず両者の差を知らなくてはならない。
実は以前にこんな記事を書いている。
こちらの記事で書いたように、目指すのは無意識・反射的に正しいプレーが選択できるようになることだ。
課題の認識
↓
課題の克服
↓
意識的に出来る意識的に出来る
↓
何度もその行動をする
↓
無意識に出来るようになる(記事より引用)
つまり正しいプレーを反射的に行えるようになるためには、まず意識的にプレーをする必要があると言うことだ。
細かい話をするとビルドアップのような時間に猶予のある場面とゴール前のような一瞬で決まる場面では反射と理屈の使い分けがあったりするのだが、ここではひとまず置いておく。
なぜ意識的にプレーすると正しいプレーが身に付くのか。それは理由と結果を考えることが出来るからだ。
プレーの決断には必ず何かしらの理由、根拠があるはずだ。DFが右にいれば左にトラップする、なんと当たり前の行為も最初は考えながら行っていたはずだ。もっと言えばボールを蹴る、という行為自体何も考えずに出来るのも同じ話。最初は足のどこに当てて、とか考えながら蹴っていただろう。自転車の運転なんかもこの手の話にはたとえとしてよく出てくる。
この考え方を元にすれば、
「高度な判断も慣れれば自動化できる」
ということになると筆者は考えている。じゃあ判断の自動化ってどんなことよ、というのを可能な限り簡単に説明したい。
判断の自動化
サッカーにおいて判断とは、
「見たものを基準に次の行動を決めること」
と筆者は考える。これはサッカーに限らずかもしれないが。
すなわち、見る→考える→行動するという順序を辿るのが判断ということになる。
先ほどの例で言えば、DFが右にいることを見て、左にトラップした方が良いと考え、実行するという流れだ。
自転車でも右によろけたことを確認したら体重を左に寄せて修正する、ということを最初は行っていたわけだ。
だがこれが何度も繰り返すことで、思考の部分が省略されることになる。その結果、
見る→行動する
と咄嗟に動くことが出来る。理由や根拠を知っているが故に、勝手に体が反応する状態だ。
この短縮により生まれる優位性は非常に大きい。
習得のためには意識的なプレーが必須
ということは、これを習得している選手としていない選手では判断のスピードやプレーの質に大きな差が出てしまうことになる。
「あの選手なんで奪われないんだ」
と思うような上手い選手は、情報を取り入れれば最適解が勝手にプレーできるようになっていると見ていても思う。
ではそこを目指すために何をすれば良いのか。
意識的に判断を繰り返すしか無い。と筆者は考えるようになった。
一個一個のプレーに対し、最適解を常に探す感覚でトレーニングに励む。その中で正しい判断と間違った判断、それぞれの回数を重ねることで思考を挟まずに正解に辿り着くことが出来るようになる。
そしてそれのみならず、というかむしろこちらの方が大きな利点かな、と筆者が思うのが
「悪い習慣を書き換えることが出来る」
というものだ。
悪い習慣は治すのが難しい
DFからプレッシャーを受けると焦ってしまう。
奪われるのが怖くて前を向けず、いつも後ろ向きにトラップしてしまう。
ボールを奪おうという意識が強すぎて一発で交わされてしまう。
選手にはいろんな悪い習慣が身に付いていることが多い。そしてその多くは自動化された判断になっていたりする。
見る→DFが奪いに来てる→焦って周りを見れない
というような状態から抜け出せなかったのは筆者の実体験でもあるし、他の選手にも似た現象が見受けられた。
たとえ上手い選手であっても、ドリブルが上手くて奪われないが故に球離れが悪く周囲のフリーな味方を活かせない選手は同じ状況と考えて良い。まず一人交わす、という習慣から抜け出せず最適解に辿り着けていないのだ。
だがこれは身に染みついたものだ。だからこそ簡単に治るものでは無い。頭では理解できていても、実際のプレースピードでは考えるより先に体が動いてしまうのも非常によく分かる。実際、筆者は引退まで悪い習慣を書き換えることが出来なかったのだから。
無意識をやめることから始める
そんな悔いの残る選手生活を送った筆者として、是非皆さんに取り組んで欲しい。
まずは、無意識にプレーすることを辞めよう。特に、こういったブログから学ぼうという意欲のある選手は、頑張らなきゃという意識が先行すると必死になりすぎてしまう。もちろん必死にプレーするのはとても大切だし100%のプレーをしないと成長は難しい。
だが、頭脳も100%フル回転させているだろうか?必死に考え続けているだろうか?
身体的に頑張ることは決して難しい話では無い。疲労も感じやすいから充実感も強いだろう。
その充実感、頑張った感に踊らされてしまえば「頑張れるけど下手くそな選手」になってしまう。
まずは一つ一つのプレーに対し、常に考える癖を付けて欲しい。誰がどこに居るのか、どんなことをしようとしているのか。どこにスペースがあって、どんな選択肢が自分にあるのか。そして何が相手の嫌な選択肢なのか。
考えることが膨大にある、ように思える。だが考える習慣を付けることで、だんだん速く適切な判断が見つかるようになってくるだろう。
この「見るもの考えること多過ぎ問題」というのは別個記事として書いていきたいが、まずはとにかく思考において苦しんで欲しい。
練習中にこの意識を思い出せるか
練習前に「今日は思考を止めずに考えてプレーするぞ」と意気込む。だが練習に入ればトレーニングといえど負けたくないしコーチから厳しい指導を受けるし周りは上手いし・・・と結果いつも通り必死にその場でプレーするだけになってしまう。
これ、筆者の選手生活の大半である。
なんともったいないことか。頭で戦うことを全く練習中に思い出せずに毎日を過ごしていたのだ。これでは技術的にボール扱いが上手くなっても、肉体が鍛えられても、選手としての質は上がらない。
なぜか。試行錯誤していないからだ。チャレンジしていないからだ。
必死に考えても、成功するとは限らない。むしろ失敗ばかりだ。だが挑戦すれば失敗から学ぶことが出来る。これは綺麗事では無い。
具体的に、「ボールを受ける前に見る」ということから考えてみよう。
何も考えずに必死にプレーしてしまえばそこでお終いだ。トラップミスを怖がってボールガン見してトラップ。いつもと同じ、なんかプレーが上手くいかない、で完結してしまう。
だが挑戦してみれば、
「この体の向きじゃ上手く見れない」
「見るタイミングを計らないとトラップを失敗する」
などなど失敗の要因が理解できる。そしたら次のプレーで改善すればいい。大事なのは
「何故上手くいかないのか」
が分かることだ。
練習中にこの意識を見失わないことは、思ってるよりもはるかに難しいと思う。だからこそ、毎日意識して欲しい。
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