あなたは「正しい努力」が出来ていますか?~がむしゃらは善か悪か~

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自分で言うのもおこがましいが、筆者は頑張る選手として高校の部活動では頑張る選手として評価されてきた。

だがそれは正しい努力とは言い難い。わかりやすい表現をすれば

 

「根性論を脳死で信じ続けた」

 

という状態だった。

だがそれが高校の顧問に評価され上のチームへ行くきっかけになったのもまた事実だ。

そして高校を出て、違うタイプの指導者に出会って知ったのが「頭を使い試行錯誤する正しい努力」である。

この二つには大きな差がある。ではどこで差がつくのか。どんな差がついてしまうのか。どうしたら正しい努力が出来るのか。それを探っていこう。

 

 

 

蔓延る精神論主義

 

今でも日本の、特に部活動においては

「精神論至上主義」

が蔓延しているのでは無いかと筆者は感じる。

長時間練習が問題になったり体罰で免職になる顧問がいたり。

また実際にプレーしている選手からの声も可視化されるようになってきて、そういった現実がようやくサッカー界全体に伝わってきたのではないだろうか。

元々日本の文化の一つに「根性主義」は長年の問題として存在する。

 

努力自体は成長のためには必要不可欠だ。だが筆者が痛感したのは努力の質を上げる取り組みが圧倒的に足りないこと。

そして努力とやる気が分かりやすく表現できる選手しか評価できない指導者が少なくないことだ。

 

①思考停止した頑張りとは

 

その1.思考停止した努力

 

スポ根漫画によく出てくるような量を重視した努力。もちろん分野や身につけたい物によっては量が大切な物もある。だが、全てを量で解決しようというのは大きな間違いだ。

例えば、筆者の卒業した高校では「自主トレが正義」というような教え方をされていた。

Bチームの君たちが上に上がれないのは自主トレが足りないからだ、というような指導をされる。

 

結果、下のチームの選手はとにかく長いこと自主トレに時間を割いていた。

だが今思い返すと、生産性の高い本当に上手くなるような自主トレをしていた選手はほとんどいなかった。これが思考停止した努力の典型的例だ。

 

もっと具体的に例を出そう。

 

チームでのトレーニングが終わる。選手達は思い思いに自主トレを始める。このとき、なんとなく対面パスをする選手は少なくないと思う。

だがそれ、何のためにやっているかはっきりと言えるだろうか?特にミスもチャレンジも無く、ただただパスする時間になってないだろうか?

この光景、非常によく見る。だがミスしないような自主トレは、上達に繋がるのだろうか?そこまで考えずに思考停止している選手、全国クラスの高校でもよく見かける。

それはおそらくだが、「努力すれば報われる」という言葉を信じすぎているからではないだろうか。

 

努力はドラクエの経験値のように問答無用で成長できるわけではない。それはあくまでもゲームやアニメの中の話だ。

 

自分が何が足りないのか、何を成長させるのか、どうすれば成長できるのか。それを考えずにがむしゃらに努力をするのは非効率的だ。時間を無駄にするだけではなく、悪いクセや習慣が付く可能性まで考えられる。それはつまり下手になる可能性すら秘めていると言うことだ。

遊びや休息の時間を削って疲れる自主トレを頑張って、結果下手になるとしたらこんなに残酷なことはない。だが努力至上主義を思考停止で信じてしまえば悲劇は誰にでも訪れる。

 

その2.思考停止した頑張り

 

これは努力だけではない。プレー自体も同じように無駄、それどころかマイナスに働く頑張りとなってしまう可能性が高い。

例として、前線からの守備を考えてみよう。

よく「あいつは頑張れるなあ」と言われる選手の特徴の一つに、「前線からのプレスを全力で行う」というものがある。

 

だがこれも、思考停止して行ってしまえば何の意味もない。

 

 

 

例えばこんな状況。

相手のDFラインに3枚、自分一人の場面。

この状況でがむしゃらに頑張ってプレスに行ったらどうなるだろうか?

 

 

このように簡単に剥がされる。結果的に相手はフリーでボールを運べて、自分達は守備の枚数が一枚減ってしまう。プレスに行く前よりも状況が悪化してしまうのだ。

こんなアホなこと起こるか、と思われるだろう。

だが実際に筆者は高校時代に経験している。

コーチが「前からいけ!」と怒鳴った瞬間に必死に前線が走る、だがそのプレスは無謀かつ無意味なものだ。

上のチームに昇格したい選手、スタメンを取りたい選手はコーチからの評価に非常に敏感なため、指示に対して反射的に思考停止して従ってしまうことは少なくない。

結果コーチの指示も聞き、頑張っているがチームには何も良い影響を与えないプレー、というのが起こってしまうのだ。

ドリブルが長所の選手に仕掛けろよ!と怒鳴るときも似たようなことが起こりやすい。DF3人相手にドリブルを仕掛けてもチームとしては何も嬉しくないのに、頑張らなきゃと言う強迫概念からそんなプレーをしてしまう選手を何人も見てきた。

どちらも「頑張る」ことが目的になってしまい、「良いプレーをする、試合に勝つ」という目的を見失ってしまった結果である。

 

これは少し極端な話ではあるが、思考停止してしまう危険性というのはどこにでも有るのだ。

 

その3.無意味な声出し

 

そして部活において頑張れる選手といえば

声を出す選手

ということも非常に多い。

 

だがこれも無意味なことが多い。

「もっとやれよ!」とか

「いけいけ!」とか

「集中集中!!」とか。

 

その声出しは本当に必要か?チームにとって利益をもたらしているか?頑張るだけになってないか?という自問自答をせずに「声を出さなきゃ、頑張らなきゃ」と考えてしまう選手にありがちだ。筆者も同じことをしていたからよく分かる。

 

「頑張り」が目的化する危険性

 

そもそも頑張ることは何故必要なのか。

それは選手個人からすればもっと上手くなりたいから。チームとして捉えれば勝つため。

あくまでも頑張ることは手段だ。

だがコーチの評価や、怒られた経験がある選手にとっては頑張ることが正義、大事という思考へと変わってしまう。その頑張りに中身がなかったとしてもだ。

頑張れば褒められる、頑張らなきゃ怒られる、というように手段と結果が直結してしまった結果、本来の目的を忘れてしまうのだ。

 

努力は気持ちいい、浸ってしまう

 

そして思考停止した努力というのは、実はそれほど辛くない。肉体的には辛いかも知れないが、少なくとも悩むことはない。

悩むほど頭を使わないからだ。

そして努力には麻薬のような中毒性と達成感がある。必死に自主トレし、チームメイトが先に帰るのを見送りながら自分を追い込んでいる状況は気持ちいいものだ。

「あー、オレ今頑張ってるなあ・・・」という状態になってしまう。

特に

・自主トレに充てた時間
・身体の疲労度

というのは目に見えたり実感しやすい。結果、目的を見失い努力すること自体に夢中になる。その瞬間、努力や頑張りは手段ではなく目的になってしまうのだ。

 

どう防ぐか?

 

これらの事態は選手として避けるべきだと筆者は考える。

筆者はこの状態に4年近く陥り、自主トレのメニューは上手いが実戦で活かせない下手くそな選手としてその後のサッカー人生を送った。今、当時やっていた自主トレを振り返ると

 

「もっと先にやることあるだろ!!!」

 

と指摘したくなる。途方もない時間を無駄にしてしまった。だからこそ、これを読んでいる選手の皆様には同じ道を歩んで欲しくない。

ではどうすれば回避できるのだろうか。

 

常に目的を意識する

 

実際のプレーでも自主トレでも、一番大切なのは目的を見失わないこと。何のためにこれをするのか。目的のための最善の手段は何か、常に考え続ける。

 

例えば先程のプレスの場面で言えば、

「コーチはああ言ってるけど、勝つことが目的なら今プレスかけるのは有効じゃない」

ということを考えられる癖をつけること。もっと簡略に、極端に言えば

「コーチの言っていることは勝つため、成長するために必要か」

を常に吟味することだ。その癖が付けば、指導者の言うことを取捨選択し、自分の目的に向かって迷わずに進むことが出来る。

 

そして自主トレであれば、

・自分がどう成長したのか
・そのためには何を身に付けるべきか
・それを身に付けるためにどんな練習をするか

この3ステップをしっかりと踏むことだ。

闇雲に練習するのではなく、自分にとって必要なものをしっかりと考える。

この作業は自主トレ自体よりも重要だ。

意味のない自主トレを1時間やるぐらいなら、50分かけて自己分析をして10分身になる自主トレをした方が絶対成長する。

 

先に例に出した対面パスであっても、普段通りなんとなくパスするのか、

 

・インサイドのパススピードを上げる
・トラップを毎回ターンの練習に充てる
・正面ではなく横向きでボールを受ける

 

というように、目的があれば様々なスキルが磨ける。

そしてよりピンポイントに、自分の目的に向けた自主トレになるため成長スピードが加速する。

どちらもプロセスは少し異なるが、「目的を忘れないこと」を守れば自然と達成できるようになるはずだ。

 

自主トレに関しては別記事にて詳しく解説している。

中高生がサッカーの自主トレをするとき、何を考えるべきか

 

筆者のようにならないで欲しい

 

自慢ではないが、筆者は八千代高校の中でも自主トレの時間だけは学年一だったと思う。

逆に言えば学年で一番多く自主トレをしてもトップチームに上がれなかったのだ。

 

それは自主トレの質、そしてプレーにおける頑張りの間違いを直せなかったことが原因だと思う。

 

思考停止は選手にとって悪だ。がむしゃらは正義ではない。常に頭を使い試行錯誤することが選手としてはとても大切だ。

選手にとっての正義は結果を出すこと。

成長するための自主トレ。試合に勝つための正しい頑張るプレー。どちらも結果のための手段だ。それを忘れてしまっては、手段が目的へとすり替わってしまう。

 

目的を見失い、高校生活を棒に振った筆者だから力説したい。皆様には是非、正しい努力をして成長して欲しい。

 

 




 

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